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月と六文銭・第二章(2)

 千堂せんどう綾乃あやのは新潟の自衛隊基地に会計事務官として赴任した。昼間は地味な総務・経理の仕事をこなし、夜は地元のスナックでアルバイトする大学生・沙絵子さえこに扮し、情報収集を行っていた。

~ペーパー・トレイル~


 綾乃はストレッチをしながら資料ビデオを見ていた。次に配属される部局の紹介、担当者のプロフィール等が大きなプラズマ表示板に映し出されていた。広報が作った宣伝用ビデオだったが良くできていた。外部に委託したものだが、最終的には誰が見るんだろうと首を傾げた。

 前の任務は本部広報課での資金着服の証拠集めだった。
 広報での不正は外部業者と結託して、基本的には高めの委託費とキックバックをワンセットにするもので、これがいわゆる裏金の集積口座に貯まっていく仕組みだった。前の担当官と副官は別々の駐屯地の経理部署に“栄転”させて本部から外し、課長は本部の経理部の厚生担当に“栄転”させた。3人はいずれも基地等の公金に手を付けたらすぐに分かり、懲戒免職に持っていきやすい部署に移しておいたわけだ。そこで大人しくしていたら、5年くらいで不問にするという温情対応だった。
 綾乃は担当官のいやらしい目付きを思い出していたが、その程度はかわいいもので、綾乃の歓迎会で手を握ってきたことも笑って許せた。
 しかし、不正蓄財した金でクラブホステスを愛人もどきに囲おうとしていたのは許せなかったので、お灸をすえるつもりで、愛人に平手打ちされるよう、ちょっといたずらをした。


 関越道で軽自動車が左側ガードレールに接触し、スピンしながら追越車線の方へ滑って行き、追越車線を高速で走ってきた車に真横からぶつけられ、2台とも炎上。
 スピンした車には団塊世代の夫婦が乗っていた。退職したばかりで息子のいる新潟に旅行に向かっている途中だった。ぶつけた車には同じく実家に帰省するサラリーマン夫婦が乗っていた。残念ながら4人ともこの事故で亡くなっていた。

 新潟駐屯地の一等海尉は両親の葬式を含め1週間だけ休み、すぐに任務に戻った。周囲は気を使って、彼を早く帰した。業務後の余った時間に、彼は酒を飲み、パチンコをはじめ、スナックに通うようになった。行きつけとなったスナックで彼は昼間は学生、夜はこのスナックでアルバイトする紗絵子と知り合った。

 沙絵子はちょっとおっちょこちょいですぐ酔ってしまい、スナックの店員としては及第点を取れるレベルだったが、お客さんの評判は良かった。自営業の社長や大企業の新潟支店長からの指名をうまくこなし、人気があった。もっと稼げる東京じゃなくて、何故新潟に来たのかと聞かれると、東京の人は冷たいから、と群馬出身の沙絵子は説明し、上州女のくせに酒が弱いの、と恥ずかしいに笑った。


「サエちゃん、スタイルいいよね」とお尻を撫でられることも度々だった。
「今は補正下着ってのがあってぇ、ぎゅうぎゅうに絞めつけているからぁ」とカラカラ笑って、ドレスの胸元を見せた。適度な谷間と色白の乳房上部がオジサンたちの視線を釘づけにした。
「ちなみにぃ、脱ぐの大変だしぃ、着るのも大変だからぁ、口説かれても脱がないからネェ」とまたケラケラ笑った。
 沙絵子はお客さんの気持ちを癒すのが上手だった。仕事も家庭も忘れ、楽しく過ごせる時間をお客さんは求め、沙絵子はそれに応え、店長は売上げの伸びを喜んだ。
 沙絵子は職業のはっきりしない田中たなかひろしと地元の自動車ディーラー社長の酒井さかいただしのテーブルで酒がまわり、酒井が太ももを撫でても何も言わず眠ってしまいそうだった。
「サエちゃん、送ってこうか?」と酒井が言った。
「うぅん、店長に送ってもらうぅ」と沙絵子が応じた
「俺はそんなに飲んでないから」と酒井が畳みかけた。
「うぅん、じゃあぁ、お願いしまっす」と沙絵子が言い、マスターに帰っていいですかっと声を掛けた。マスターからOKをもらったら、更衣室にバッグを取りに行き、コートを羽織り、酒井にちょっと寄りかかる感じで店を出た。


 綾乃が帳簿を丹念に追うと廃棄予定装備の廃棄実績が一致していなかった。1~2か月遅れて廃棄されることもあって、数か月数字が一致しないことは常だった。もちろん消込みをして不一致を確認していくのだが、電子記録と紙ファイルによる記録に差はあった。先輩女性事務官の説明では、途中まで電子で保管し、廃棄が確認された段階で紙に打ち出してファイルしていくことになっていた。

 綾乃は細かな差異にすぐに気づいたが、数個ずつであり、入庫した段階でまだ使えるものもあって、送り戻されたり、部品に分解して使われることもあったので、かなり分かりにくくなっていた。
 2か月ほど細かく数字を追い、現場に電話を架け、実際の廃棄状況を確認した。搬送担当官に随行して廃棄状況の実地確認にも出掛けた。問題はなさそうだった。問題はこの駐屯地じゃないのか?
 しかし、状況が変わったのは、上司の鈴木すずき征四郎せいしろうに途中報告として「現段階で問題は確認できず」と伝えた翌日、装備の紛失ではなく、大口の転送が発生したからだった。
 廃棄予定の機関銃のロットが廃棄解除となって、新潟へと送られ、実射訓練で使用されることとなったのだ。1ロットが1箱、上下に4丁ずつ8丁が1箱に入れられ、1小隊6名に1丁ずつ+2丁が予備。これが2箱で2小隊分が転送された。いや、転送されたはず、だった。


 日本と北朝鮮は国交がないのに、定期的に貨客船・万国華マンゴクファ号が新潟港と北朝鮮ハイヤ港を往復していた。大事な積荷の一つは燃費の良い日本の小型車だった。
 北海道小樽港だと、よく出入りしていたロシア船は車を真っ二つに切って、“自動車部品”として輸出許可を取っていたが、北朝鮮船は乗船する“帰国者”の“家財道具”として無税扱申請を行い、そのままの形で積み込み、運んでいた。
 ロシア船は火事が怖くて車からガソリンを全部抜いていたが、北朝鮮船はガソリンも帰国土産として満タンにして積んだ。新潟港から少し離れたガソリンスタンドで給油をすることが多かったが、時には満タンにしても数リッターしか入らない車両があることを気にするスタンド店員は一人もいなかった。


 綾乃は新潟駐屯地総務部からの送付受領書を受け取った。やや安心したものの、“ペーパー記録”が完了するまで待った。ペーパー記録は1か月後に届いたが、細かく確認しないと2ロット分の訓練用機関銃が含まれずに縦も横も足し算が合うようになっていた。
 綾乃は先週の在高表を打ち出したフォルダの計数とその前の4週間分の結果と今日のPC画面とを比較した。巧妙に入出庫の順番を入れ替えて分かりにくくしていたが、パッケージ番号を丹念に追って不足が判明したのだ。
 “横流し”。古い装備でも新しいものでも脅威であることに変わりはなかった。もっと問題だったのは、北朝鮮及び中国に米装備のコピーが急速に増えていたことだった。南から北への流出もあっただろうが、米国は日本からの流出も気にし始めていた。

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