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月と六文銭・第十五章(7)

 動くものを狙撃するのは難しい。スピードもあるが、動きが予測できないことも多い。武田の計算能力で動く物体が百分の一秒後、十分の一秒後、一秒後、二秒後、三秒後、五秒後にどこにいるのかが予測できるからこそ、正確に狙撃ができるのだ。
 この特殊な能力が発揮されるのはターゲットが車で移動していて、事故に見せかけて無効化する時だ。

アサインメントその2:黄色いフェラーリ


 ホテル1階のラウンジで待っていたターゲットに、すらっとしたきれいな女性が合流した。顔が小さく、八頭身、スレンダーだが胸がしっかり出ている女性だった。監視要員の報告ではターゲットが昨晩一緒にドライブに出かけたホステスと同一人物のようで、ターゲットのお気に入りのようだった。この女性はドレスもセンスが良く、落ち着いた感じのクラブ・ホステスと言えた。
 二人は最上階のレストランで白身魚のムニエルがメインのディナーを楽しんだ。品の良さが感じられる女性で、食べ方もきれいだったそうだ。食後、窓辺で二人はアイスの盛り合わせをシェアし、ホステスは食後酒"レゼルヴ・ムートン・カデ・ソーテルヌ"を1杯、ターゲットは辛口のハウス・ジンジャー・エールを飲んでいた。
 それを聞いて、今夜もターゲットは車を運転する気だと、武田は確信した。

 デザート後に二人で腕を組んで仲良くターゲットの部屋に移り、1時間半ほどを一緒に過ごした。監視要員が「羨ましい」と余計なことを言ってしまうくらいスタイルが良く、アップにした髪から覗く襟足のキレイさがプロのホステスの矜持を表していた。
 腕を組んで部屋を出たことが報告され、地下駐車場へと直通エレベーターで向かったことが確認された。駐車場には長期宿泊客のために用意されていた駐車スペースがあり、そこに停めてある黄色いフェラーリで送っていくようだった。
 オートバイに乗った監視要員が尾行したが、六本木から谷町ジャンクションを直行し、4号新宿線に入って幡ヶ谷で降りて、ごく普通のマンションの前で止まった。ターゲットはよっぽどの紳士なのか、部屋に上がろうとか、近くのカフェに行こうとか、しつこくせずにサッと運転席を出て、助手席を開けて女性を下ろした。


 フェラーリは少し先の信号まで走り、左、左、左と曲がって元の甲州街道に戻り、ランプから首都高に乗った。
 監視要員から元の路線を走り、都心環状線に入って、谷町ジャンクションを通過し、そのまま環状線を走るようだと連絡が入った。
 武田は狙撃銃を組み立てて、ホテルのエレベーター機械室に入り、スコープを微調整した。銃のステイの2脚を固定する位置に永禄銭を置いて、目印とした。左が"天道"、右が"人間道"を表していた。
 ターゲットの黄色いフェラーリが一ノ橋ジャンクションを通過したとの連絡を受けたところで、武田は確信し、六文銭の残り4つを唱えながら置いた。"修羅道"、"畜生道"、"餓鬼道"、"地獄道"。2脚の距離が大きかったこともあり、結果的に6つの永楽銭は一直線に並んだ。

「準備完了。離れて!」
 オートバイに乗った監視要員に狙撃準備完了を伝え、要員が巻き込まれることを防ぐため、ターゲットの車から離れるよう指示した。
「了解!」
 指示を確認した後、オートバイは徐々に速度を落とし、芝公園ランプで左に寄って、降りていった。
 フェラーリは出口ランプの分岐を過ぎたところから加速を始めた。
 武田がスコープで見ていたのは右前車輪の横の側壁だった。距離は400mもない。
 サプレッサー付きとはいえ、近くで聞いたら大きな音を発し、右前車輪の真横の壁で跳弾し、タイヤがバーストした。車両は右前がガクンと下がり、壁に向かって車が傾いてドンと当たった。独楽のように回転し始め、道路の直線部分をクルクル回転しながら滑っていった。左カーブの中ほどを過ぎた辺りでようやく止まった。
 車は前後左右がボロボロになったが、炎上せず、道路の真ん中で止まったまま、2車線を塞いでいた。


 結果的に武田が宿泊していたホテルに近いところの首都高でフェラーリが止まったため、しばらくは窓の外で警察車両、消防車、救急車のサイレンが鳴り続け、渋滞による車のライトでの"オレンジの河"が一ノ橋ジャンクションまで続いた。
 武田は銃を分解し、ケースに収め、機械室の外に待機していた組織員に渡した。代わりに組織員は電子バイオリンが収納されている楽器ケースを置いていった。これで武田がチェックアウトする時、疑われずに済む。
 フェラーリの大破、ドライバーの入院が確認された段階で、報酬の金塊15,000米ドル分が武田の貸金庫に届けられることになっている。

 武田は部屋に戻って服を脱ぎ、シャワーを浴びた。出てきたら、携帯電話にのぞみからのメッセージが届いていた。今夜は浜松町で接待があると伝えてあったのだ。メッセージじゃなく、話そうとスマートホンの画面にある電話のアイコンを押した。
 3コール内にのぞみが出たところから、折り返し電話を待っていたのが分かった。東京にいて自分の部屋に戻らないのは珍しいことだから心配だったのだろうか。
「今夜のお食事、どうだった?」
「浜松町だからね、そんなにすごくなかったよ」
「でも、龍華宮だったんでしょ?すごくないことはないでしょ?」
「そうだけどね」
「上海蟹とか海老料理とかが美味しくて有名なんでしょ?」
「ああ、久しぶりに上海蟹を食べたよ」
「いいなぁ、今度連れて行ってね」
「もちろん」
「おやすみ~、明日オフィスでね」
「はい、おやすみなさい」


 ターゲットがいつものルーティンを崩して、予定通りに動いていないと聞いた時は少し心配になったが、狙撃が成功して武田は安堵していた。
「たまには早く寝るかな」
 口に出したのは自分をほかのことから遠ざけるためでもあった。狙撃時の高揚感、狙撃が成功した後の達成感で気分が高まっていたから、下半身にも力が漲っていた。
 抱きたい。
 これが今の正直な気持ちだった。のぞみは家にいたから、今から出てくるのは無理だ。上田うえだ陶子とうこは子供がいるから、同じく、今から出てくるのは無理だ。レースクィーンの板垣いたがき陽子ようこを呼ぶか。東京タワーが良く見えるけど、特別な部屋でもないところに呼んでも嬉しくないだろうな。
 ホステスの喜美香きみかを呼ぶか。ご無沙汰しているから、したいかな?お店に来ないくせに部屋に呼ぶってズルイねって言われるだろうな。
 ここでチェックアウトしたら、怪しまれるかもしれないため、今夜はこのまま泊まるしかない。自分は動けないから、呼ぶしかない。食事とセットにしたら大丈夫かな?

武田<こんばんは!今夜、何時に上がりかな?>

 メッセージを送ってから数分して、喜美香から返信があった。予想通り、しばらくお店に行ってないことを咎められた。

喜美香<お店に来ない人のリクエストにはお答えしません!
 なによ、急に会いたくなったの?
 会いたいならお店に来て!>

 喜美香にとって武田は、質の良くない客といえた。

武田<お店には今度ボトル入れるから。
 今夜は浜松町にいるんだ。
 君のナイスバディを拝みたい>

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