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月と六文銭・第十八章(06)

 竜攘りゅうじょう虎搏こはく:竜が払い(攘)、虎が殴る(搏)ということで、竜と虎が激しい戦いをすること。強大な力量を持ち、実力が伯仲する二人を示す文言として竜虎に喩えられ、力量が互角の者同士が激しい戦いを繰り広げることを竜攘虎搏と表現する。

 武田は総務経理の松沼まつぬま和香子わかこから経理課長・桐生きりゅうとの不倫がパパ活だったことを説明された。誰とどうしようとそれは個人の勝手とのスタンスから武田は驚かなかったものの、松沼には松沼なりの理由があるということで、それを黙って聞いていた武田だった…。

~竜攘虎搏~

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 松沼は少し恥ずかしそうにパパ活に至った話を続けた。

「そのホスト、夜の方が上手で、私の体がそれに慣れてしまったのか、別れてからも体が疼き、定期的にしないと不安になってしまっていました。
 元々私は性欲が強かった上に寂しいとか不安とかが加わってしまったようでした。
 そんな時に大学時代の同級生にパパ活アプリを教えてもらい、何人かと会って、今の複数のパパを見つけました」

 武田は表情を変えず聞いていたが、頷いたので松沼は続けた。

「桐生さんは少し好きでした。
 私のことを庇ってくれたり、仕事のノウハウを教えてくれたりしました。
 決算準備で残業を一緒にしているうちに互いに惹かれあい…。
 彼が悪いわけでも、私が悪いわけでもないと思っています」
「だが、彼は結婚していた」

 松沼は詰まったが、口を開いて、続けた。

「男性の常套句ですが、家庭では奥さんとうまくいってなくて、彼は"ご無沙汰"だと言っていました。
 私は連日の残業でパパ達に会えないから体が疼いてしまっていて、結果的に互いの利益・目的が一致したというか」
「後悔はしていないのですか?」
「桐生さんには、いや、彼の奥さんには悪いことをしたと思っていますが、彼も私もしたかったのは事実ですし、実際にしていたので」
「松沼さん、社内の人とそういう関係になったら、自分のキャリアに影響するとは思いませんでしたか?」
「社内で不倫は良くないと思った時もありましたが、彼に抱かれると安心できたのです。
 私は男性と接していると安心するのが自分で分かっていたので」
「私の意見を言ってもいいですか?」
「お願いします」
「当社でキャリアビルドをしたいなら、社内や近くの男性は諦めて付き合わないこと。
 アプリで誰と会おうと、どういう関係だろうと、それは自由だ。
 社内では上司と部下の不倫で済んでいるので、傷口を広げないよう気つけることです」

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「パパ達とはどうしたらいいですか?」
「それはあなたが決めることですが、間違っても取引先の社員などとは会わないこと。
 アプリは誰が見ているか分からないだろうから、当社の社員に見つかった場合はあなたのキャリアが台無しのなるので、すぐにやめること。
 現在のパパ達とは上手に付き合っていくしかないでしょう。
 彼等にも、あなたがどこに勤めるどんな女性か絶対知られないよう気をつけること。
 あなたのことはどれくらい彼らに教えているのですか?
 本名、勤め先、住所、出身学校、出身地など、あなただと分かる情報はどの程度教えていますか?
 何も教えていないといいのだが。
 その程度のことしか思いつかなくて申し訳ないが」
「いいえ。
 ありがとうございます。
 話してすっきりした面はあります。
 パパ達にはアプリの時のニックネームあかねで呼ばれていますし、それ以上のことは教えていません。
 しつこい男性は切ってきましたし、自分と分かる物、免許証や社員証、保険証などはカバンに入れて、会う時はコインロッカーに入れておきました。
 バッグを開けられて、個人情報を探られても、何も持っていないよう気を付けていました」

<賢いというべきか?プロのパパ活女子のやり方だな…>

 武田はメモを取っていた紙を松沼に渡した。

「自分の手で処分した方が安心でしょ?」

 松沼は頷いて、武田がメモを取っていた紙を受け取り、四つに折ってスーツのポケットに入れた。

「どうしても身元がしっかりしている男性のサポートを受けたいなら、交際クラブというのがあります」

 松沼は「どうしてそんなことを知っているの?」という顔をした。

「知り合いの経営者に社内の女性と付き合う場合、いろいろなリスクがあるから、交際クラブで身元のしっかりした女性を見つけて、秘密の交際をした方がいいと勧められています」
「部長は、独身ですよね?」
「そうですが」
「交際している女性などはいないのですか?
 あ、ごめんなさい、部長のプライバシーに立ち入るつもりではありません」
「いる、いないかで松沼さんの次の発言は変わるのですか?」

 武田は松沼の「女性など」の「など」に反応した。やはりゲイ説が幅を利かせているのだろう、松沼もそう思っているのかも知れなかった。ま、今のところ自分には都合が良いので否定も肯定もしないで放置しているが。

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 松沼はゆっくりと次の質問を出してきた。

「部長は浜松町によく行かれますか?」

 武田はこの会話がどこに向かっているのかを考えてから答えた。

龍華宮ロンファゴンという中華料理屋が好きで知人の女性と何回か行きましたよ。
 もちろん、プライベートで」

 プライベートで、という言葉を使って、他の役員のように自分の遊びに会社経費を使っているわけではないということと、松沼に「お前には関係ないだろ」と言いたかったのだ。武田は知人女性ではなくて銀座のホステスとよく行っていることはもちろん言わなかったが。

「私、寺島てらしまさん、物品の、と四国に旅行に行った際に、浜松町で乗り換えた時に部長ときれいな女性が一緒にいるところを見かけたことがあるのです」

 AGI投信の総務には施設・設備、物品、経理の三課があり、施設管理、設備維持、物品の購入と管理が一般的な会社の総務部総務課で、松沼がいたのは総務部経理課ということになる。

 物品の寺島とは寺島澄香てらしますみかのことで、確か中途入社だったが、社会人年次は松沼よりも一つか二つ上だったはずだと思いながら聞いていた。

 ホテルに入るところを目撃されたわけではなかったようで、武田は少し安堵した。裏の仕事で近くのホテルにいたことがバレたら面倒なことになったかもしれないからだ。

「私も連れて行ってください、龍華宮」
「上海蟹が好きなんですか?」
「あそこは有名店で先日その前を通った時、部長がきれいな女性と入っていくのを見た気がして」

 まぁ、カニをご馳走するくらいは大丈夫かな。

「カニならご馳走しますよ」
「予定を立ててもいいですか?
 もちろん、プライベートで」

木乃伊ミイラ取りが木乃伊ミイラになる、というのではないか、こういうの?松沼は何を考えているのだ?会社の人間とは気を付けろと言ったばかりなのに>

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 武田は急いで防衛線を張った。松沼にははっきりと、付き合う気がないこと、パパになるつもりがないこと、一対一でレストランなどに行くつもりがないこと、若手女性を数人誘うなら行っても良いことを提案しようとした。
 しかし、せっかくいろいろ話してくれたのに、一方的に線引きをして、気分を害したまま自分のオフィスから追い出すのは良くないと判断して、飲み込んだ。
 食べるだけなら龍華宮でも四川成都スーチュワンチェントゥーなどの高級店に連れていったとしても、自分自身も料理を楽しめるので、いいかと思った。
 恋人・三枝のぞみは何度か両方に連れて行っていたので、会社の若手と集団で行っても怒られはしないだろうと思った。もちろん、事前申請をしておくことを忘れない、そう、却下されることはないだろうけど、男女の仲は「信頼が大事、何事も事前申請が大切だ」と武田は思った。

「それでは、プライベートで行きましょう。
 ただし、女性陣を何人か誘って、行きましょう。
 浜松町なら、龍華宮か四川成都辺りがお奨めです」
「はい、知っています。
 ぜひ、お願いします!」

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