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わたしの日本語教師・海外就職体験談(よかったこと編)

先日、日本語教師になりたいという高校生からの質問に答える機会がありました。これまでの日本語教師の仕事を思い出すと、ほんとーーーーに色々なことがあったなあ、としみじみした気持ちになりました。
質問に答えながら、海外での就職については自分の中でもきちんと整理しておくべきだなと思ったので、ここにまとめさせていただきたいと思います。

まず第一弾は、海外で働いて「良かったこと編」です。

日本語教師としてのキャリア

海外で働いた経験があって良かったと感じるのは、日本語教師のキャリアへの影響です。
日本でどこへ面接に行っても、案外珍しがられます。そして、同じ元海外組の先生方と意気投合することも多いです。
でもこれは一番良かったこととは言えません。評価されるかどうかは、相手次第ですから。(日本の学校で勤務するのが正統派だと考える人もいるし、逆の考えの人も)
私の場合、年単位ではありますがそこまで長期間ではないため、直接評価につながっているかはわかりません。それでも、とにかく面接等で話のきっかけにはなるし、たいていこの経験をメインにいろいろ質問されます。そして、話したいことはたくさんあるのでうまくいくことが多かったです。


人生観を変えた

私の中ではこれが最も良かったことだと感じています。
海外で働くまで、私は何をするにも自分の考えを曲げられない子でした。本当に若く、無鉄砲、自意識過剰。
自分を曲げるときはとんでもないストレスを伴い、結果、人嫌いになっていました。
そんな私が海外で一人、味方になってくれるような人が誰もいない環境で働き、様々な壁にぶつかりました。
職場での人間関係、仕事上のトラブル、急な病気、恋愛沙汰……
今考えても胃が痛くなるほど、つらいつらい日々でした。
当時私は、周りが悪いんだ、海外で働くのってこんなに大変なんだって思っていたのですが、気づいたんです。自分の態度や性格がこれを招いていると。
海外で働く間、自分のダメなところを人からはっきり言われる機会が何度もありました。
その全部が正しいわけではないし、正直環境に恵まれていなかった面はあったけれど、確実に自分は周りとうまくやっていけないタイプなんだと自覚したのです。
そして、その反省を活かして、日本に帰ってきてからは周囲に感謝の気持ちを持つようになりました。それだけじゃなくて、ちゃんと感謝を言葉や態度に出す、それができるようになったんです。
あんなにつらくて独りぼっちな経験て、日本に住んでいたらなかなかできないと思います。人ってなかなか変われないから、極端な経験が必要なのかも。
周囲の人や環境に感謝できるようになったのは、海外で働いた経験があってこそだと思っています。


同じ境遇の親友ができた


養成講座で知り合った年上のお友達。養成講座時代は、少し教室で話すくらいの仲でした。
しかし、2人とも同じ時期に海外に出て、近い国同士で働くことになりました。その友達はわたしより海外経験が豊富だったので、準備の段階からとてもお世話になっていました。
そこから別々の国へ行ったので、離れ離れ、普通はもうそこでコンタクトを取らなくなってしまうかなと思うのですが・・・
二人とも海外就労をするなかで厳しいことがたくさんあり、同じような環境の人に愚痴を言いたくなったので、すぐにまた連絡を取り合うようになりました。2つの国に時差がなかったこともあり、仕事のあと長電話をするのが日課になりました。
お互い帰国するまで2年以上会っていなかったのですが、日本へ帰ったあとは久しぶりに会うとは思えないほど身近な存在となっていました。
彼女とは親友どころか、同じ苦労と痛みを分け合った戦友だと感じます。
海外に働きに行って、違う国で暮らす日本人の親友ができるなんて、思ってもいなかったことです。


このように私にとって海外での日本語教師の経験は、仕事のためになっただけではなく、人として、大人になるために通るべき道だったなあと感じます。
環境を大きく変えて一歩踏み出せたこと、そこから学んだ大きなことに今は自信を持つことができます。

だから、行ったことに後悔はしていません。

でも、行くなら行くなりのクレバーさを兼ね備えていないとすごく大変だっていうこともよくわかりました。
次回は海外での就労経験の悪かった点や難しかった点についても、まとめようと思います。


※息子は最近ガスホルダー(ガス会社にあるでっかい丸いタンクみたいなやつ)にはまっています。保育園のあとガスホルダーを見に行く、帰宅後図鑑でガスホルダーの細かい部分の名前を確認する(私が読み上げる)、休みの日にガスホルダーのお写真撮りに行く、という生活を送っています。電車などと違い、関連グッズがないのが救いか・・・?

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