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四日目 令和元年五月二日 十時頃
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東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。四日目 令和元年五月二日 十時頃。遠江國 新居宿。
新居関の目前にある飯田武兵衛本陣跡。モルタル壁と瓦が敷いてある玄関屋根がいい。
新居関に到着。これまでの江戸方面膝栗毛で三回来たことあるが、一度も関所の中に入ったことがない。安政ニ年(1855)改築の面番所が残っているらしい。
同好の士は電車に乗って舞阪に行くと言う。ここは江戸時代に「今切(いまぎれ)」と言って新居と舞阪との間は海路だった。同好の士は、「当時は道がなく船で渡っていた。現代は船の代わりに電車で移動しても可」と言う解釈で移動時間短縮のため電車を使うということであった。私は行程は徒歩でと決めていたので、ここで別れることとなった。出会いあれば別れあり。
小用を足したくなったので、駅で手洗いを借りた。
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