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「トリリオンゲーム」は、稲垣理一郎による“今ウケる漫画”研究の結晶だった

1話が無料で読めるのでまず読んで欲しい

「トリリオンゲーム」という漫画を読みました。
原作は「アイシールド21」「Dr.STONE」の稲垣理一郎先生。
作画は「サンクチュアリ」「HEAT-灼熱-」の池上遼一先生。
オフィシャルサイトで第一話が無料公開されているので未読の方はぜひ。

シンプルに面白い漫画だったので、たくさんの人に知ってほしいなあ、と思ったんですが、それ以上にこの漫画の仕組み、作られ方がすごく面白かったので、それを独断と偏見で紐解いていこうと思って今文章を打っています。

ちなみに、下記の記事で稲垣先生がおっしゃっていたことに触れるので、未読の方はぜひ読んでみてください。
シンプルにめちゃめちゃ面白いです(ほかの編集者さんや漫画家さんの記事も)。

まずはあらすじを…と思ったんですが、オフィシャルサイトに載っているあらすじはコレ。

世界一のわがまま男・ハル。その相方のガク。
二人でつかめ!1、000、000、000、000ドル!!

シンプルすぎるやろぉ(おいでやす)! ということで改めてあらすじをまとめてみます。

計算高いくせに、ワルいことにもブレーキがない、どう考えてもヤバイ奴こと・ハル。そのくせ天才的な人たらしで、少なくとも3カ国語は操る知性も持ち合わせる。そして、地味、ビビり、見るからに小市民なものの、超優れたプログラミングスキルを持った・ガク。ふたりは中学最後の春に出会い、同じ大学に通う就活生になっていた。
時が経ってもふたりの立場は変わらず、ハルは内定率驚異の100%、一方ガクは0%…。ガクの第一志望であったドラゴンバンクでもその違いは覆らない。しかし、ハルはドラゴンバンクの内定を辞退し、ガクに起業を持ちかける。欲しいものは全て買う! 気に入らねえもんも全部買って変えてやる! 最強のふたりで1兆ドルを稼ぎ出せ!

おおよその物語の雰囲気は掴めたでしょうか。ちなみに、無料公開分の1話は稲垣先生がTwitterでも公開しています。

「キャラクターが出ていない漫画は駄目」①

本作を端的に説明すると、ふたりのすげえやつが大成功するまでの物語ってわけなんですが、先の記事で稲垣先生はこんなことを言っていました。

少し大局的な話ですが、シンプルに「キャラクターが出ていない漫画は駄目」だと思っています。

私の場合、この記事を読んだ後にトリリオンゲームの単行本を手に取ったので、ほーなるほどね。と思ったわけです。

何に「なるほど」と思ったのかというと、この漫画(特に1話)キャラクタの顔のアップとセリフがめちゃめちゃ多いんですよ。絵だけのコマなんてほとんど存在しません。これは、かなり意図的に行われている気がします。

「え、でも稲垣先生は原作者じゃん。」とお思いの方もいると思いますが、稲垣先生は元々“漫画家”志望で、絵もお上手なんですよね。ちなみに、アイシールド21のファンブック(確か)の巻末には、作画まで稲垣先生が行った読み切り版のアイシールド 21が載っています。確かコレ↓です。各チームの選手データとか、試合前の円陣の掛け声とか載っていてすごく面白んでぜひ。

そもそも漫画原作者は人によって作業の幅が異なって、ネームまで作る人、テキストベースの人など様々らしいですが、稲垣先生は前者というわけなんですね。

というわけで、「顔のアップ」そして「多量のセリフ」はかなり意図的に行われていることだと思うのですよ。

【余談】 漫画原作こぼれ話(あしたのジョーにおける、ちば先生と高森先生)

余談なので、トリリオンゲームの記事を楽しんでくださっている方は、この章は飛ばしてください笑

世田谷文学館で開催されていた「あしたのために あしたのジョー展」で高森朝雄(梶原一騎)先生の原作が展示されていました。
高森先生は稲垣先生とは違って、原稿用紙に文字だけ書くタイプ。1番驚いたのは、その綺麗さ。高森先生といえば、結構ハードなお話も聞くじゃないですか。でも文字が読みやすいだけじゃなくて、二重線は愚か消しゴムの跡も全然ないんですよ。

そして、とても興味深かったのが、ちばてつや先生と高森先生のプロ根性のぶつかり合いエピソード。

本来、高森先生は原作の文字を1字足りとも変えさせない主義らしいんですが、ちば先生が書き上げた1話は高森先生の書いた1話とはまったく違ったと(正確にはエピローグが超足されていたおり、ネームの1話目が出てきたのは数話たった後だったとか)。

で、高森先生は怒鳴り込むんですが、ちば先生の漫画愛と実力に唸らされて、結局コントロールはちば先生に任せることになると。その後もぶつかり合いはあったようですが笑

ちば先生がどれくらい加筆していたかの例も展示されていました。

そのひとつが、力石の恐るべきアッパーカット戦法に対して、ジョーの案で対策練習をしようと言うシーン。漫画では、ジョーと丹下段平がジムに帰ってくると、マンモス西が一人トレーニングをしているんですよね。かの有名な夜中のうどんの後ということもあって気まずそうな西ですが、自ら立ち直ろうと努力してるんです。しかもそれに対するジョーの反応がカラッとしていて実にいい。

そんな、それぞれのキャラクター性と関係性が描かれた印象的な場面なんですが…。

高森先生の原作だと、この場に西がいないんですよ笑
その原作がこれで、黄色いところがちば先生が採用したところです(ちなみに当然ですが撮影OKでした)。

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全然印象違いますよね。

西、4・5日もふらついてたのかって笑

まあこれはこれで、ジョーの茶目っ気が出ていて良かったり、この後に西の復活エピソードがあったのかもと思うと読みたい気はするんですが(もしかするとそれはなく、あのスリム西は見れないまま、乾物屋の店長になっていった可能性もありますね)。

まあそんなわけで、原作と作画(漫画)が別れている作品は、先生たちの役割分担によって色々な関係性があるよって話でした。

本題に戻ります。

「キャラクターが出ていない漫画は駄目」 ②

稲垣先生は同記事内で

「キャラクターを立てる」を一言でいうと「読者にどういう奴かを見せつける」ということです。

とおっしゃっています。

トリリオンゲームでは、「まさに!」と思えるような描写がされていました。それは、ページの上から下までいっぱいに使ったキャラクターの全身カット。

1話には、この物語の主人公であるガクとハル、そしてあらすじからは省いたんですが、社長令嬢の桐姫がメインキャラクターとして登場します。

まずはハルから順に見ていきましょう。エピローグにあたる冒頭の数ページを除けば、ハルは初登場が全身カットという大物っぷり。
さらに仁王立ちで、拳からは血が滴り、制服は着崩している。初登場×大ゴマのインパクトにこれらの要素が加わることで、「こいつは豪快で自信満々の奴なんだ」って伝わってきますよね。ビンビンに。

続いてガク。ガクの全身カットは、思いの外ゆっくり目の1話中盤に登場します。それは何故なのでしょうか。

恐らくですが、「めちゃめちゃ強気な奴」であるハルとは異なり、ガクは等身大の”普通”の奴であるということを丁寧に伝えなければならなかったからだと思います。

というのも、その中盤の全身カットまで、ガクはちょっと弱気なパソコンができる奴くらいの印象なわけです。描写もちょっとオドオドしている程度ものも。
ですが全身カットでは、言葉に詰まり、目が周り、体がグネり、声が裏返るという、テンパり役満のような状態で描かれています。

普通のパソコンオタからドがつくビビリへ。助走があることでより印象的で感情移入ができるようになっている気がしませんか?

しかもそれだけではありません。その直後、意味ありげに登場したイケてる美女に、なぜか理解され、評価されるんです。

結局ガクはすごいやつなんだけど、それを最初に伝えると読者に共感性を持たせられない。だから、普通のやつ、弱いやつというのを印象付けておいて、そのあとにきちんとすごさをお伝えする。そういう造りにしているんじゃないかと思うわけです。

このガクへの共感性というのは本作のぶっとい柱で、このあとに書く、私がもっとも言いたいことにも関わってきます。
ぜひ最後までお付き合いください笑。

でもって最後に桐姫ですが、まあいうまでもなく豪華絢爛な格好をしています笑
しかも桐姫の登場まで本編に女性は(ほぼ)登場しないので、桐姫の登場シーンはガラッと作品の雰囲気が変わるシーンでもあり、それが一層桐姫の”特別な存在”感を強調している気がします。

と、こんな風に1話の時点でめちゃめちゃに「キャラクターを出す」構成なわけです。

稲垣先生の考えるヒットのための「再現性」

冒頭で紹介した記事内で、

「なろう系がヒットしているから、今の若者は努力せずに報われたい傾向が強い」は再現性です

と言っています。

何を隠そう、この記事を書きたいと思ったのはこの一文を読んだからでした。

再現性として語られている「努力せずに報われたい」というポイント、トリリオンゲームにものすごい密度で詰め込まれているんです。

冒頭こそガクは成功者として描かれていますが、ずっと戸惑っています。
あくまで、「普通の僕がどうしてこんなに成功してるの〜?」みたいなテンションなわけですよ。

本編が始まっても、ビビリ、弱く、就活もうまくいっていません。

でもなぜか、誰もが認めるスゲー奴であるハルに認められ、スーパーエリートである桐姫にも認められます。
ハルにいたっては、そんなに接点がないにも関わらずめちゃめちゃ仲良くしてくれるんですよね。

「努力せずに報われたい」欲求を満たしてくれるポイントその①は、この「なぜかとんでもなくスゲー人たちが僕を認めてくれる」です。

わかる奴には俺の才能がわかるってやつの好例で、承認欲求にビシビシきます。

で、続きますが、「努力せずに報われたい」欲求を満たしてくれるポイントその②は、「スゲー奴が成功に向かって引っ張ってくれる」です。

ガクはずっと受け身です(正確には1巻の後半までは)。基本的に超アクティブなハルが壮大な未来を語り、どんどん物事を決めて行ってくれます。

こんな人が身近にて、しかも自分を認めてくれていてって、超いいっすよね笑
楽してー。成功してー。みたな相反する望みが、ハルについていくだけで叶うような気がしちゃいます。

また、ガクにはプログラミングスキルがあるんですが、その習得過程がほとんど描かれないところも、「努力せずに報われたい」をフォローするポイントな気がします。

プログラミングってなんか頑張ればできるもの、テックキャンプに行けば人生逆転!みたいなこと思っている人って多いと思うんですよ。実際は絶対そんなことないのに。

そういう意味で、テーマもまさに時流にのってるなあと思うわけです。

言いたいことをまとめてみます

簡潔にいうと、

ガク=等身大の俺。あんまりうまく行ってないけど、人には知られてない隠れた才能があるんだー。

ハル=とにかくスゲー奴。しかも、”俺”の才能を見出して成功に向けて引っ張ってってくれる。

って感じですかね。

これだけ切り取ると、THEなろう。

でも、テーマをビジネスに落とし込み、作画を池上遼一先生が担当することで、大人向けの味付けに。

そうつまり。これは大人たちに捧ぐ、なろう作品の進化系なのです。

引用文で稲垣先生は、「若者は」と行っていますが、どこかで大人世代(と行っても20〜30後半なので若者なのかもしれませんが)にも、なろう的なテイストは受けると踏んだんだと思います。

ちなみに、clubhouseでムヒョロジの西先生とかと再現性の話やらなんやらの話をしているので、興味のある方はぜひ聞いてみてください。超おもろいです。

トリリオンゲーム、まだ1巻しか出てないのでぜひ読んでみてくださいな。

毎週のジャンプ感想もぜひ読んでね。

ではまたそのうち。

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