魔法と魔術の違い、行使のために必要な物についての話

どうも、バーチャル魔法生物マネミックです!
今回は年末年始にTwitterで書いて放置してたコチラの世界の魔法という概念いついてその②になります!
マナと魔法の関係についての話は前回の記事を読んでもらうとして、今回は魔法を行使するとはどういうことなのかについてお話します!

再度の確認になりますが、魔法とは生命力であるマナを燃料にして望む現象を呼び起こす技能の事です。
これには規模の大小は有りますが本質は変わらず、〈迷宮の魔女〉が自在に迷宮を組み替えるのも三流冒険者がヘロヘロの火の玉を投げつけるのも本質は同じ事です。
この両者の違いは絶対的なマナ量の違い(電池1つでは車は動かない)も有りますが最大の違いは魔法を行使するという事に対する認識の違いです。
〈迷宮の魔女〉が自らが迷宮を操るのは「当然の事」と認識しているのに対し冒険者は非効率なマナの廻りや自分への自信の無さ等から、自分の火の玉は「この程度」と自らリミッターを掛けています。
本来、マナを使用して現象を起こすために呪文や道具等は必要ありません。明確な意志と必要なマナさえあれば魔法は行使されます。
では何故、マジックユーザーは杖を構え、呪文を唱えるのでしょうか。
それは精神を集中し行使したい現象を明確にイメージする為です。
無詠唱で齟齬なく現象を引き起こすのは高度な技術なため多くのマジックユーザーは杖と呪文を使用して自らのイメージを補強し、魔法の行使を行っているのです。

さて、使用する為に系統立てられた魔法の事を魔術と呼称する事が有るのですが、魔術の強みは多くの人間が使用している=効果がイメージしやすい・自分が唱える呪文は有効なものだと信じる事が出来るという点です。
魔術師という共通の認識を持つ事でイメージの簡略化を行なっているという感じです。
魔術は共通したイメージを設けることにより安定した効果を発揮しやすい分、魔術としてのイメージに囚われる(この呪文ではこれくらいの威力になる等)ので予測を上回る効果が発揮される事は有りませんし細かい調整はする事ができません。
つまり、個人で使う分にはあまり大規模な現象を引き起こすのには向いていないのですが、共通の認識を持つ魔術の極地として神聖教団の〈聖歌隊〉があります。
これは特定の奇跡(現象)を引き起こす魔術毎に1つの歌を作り、戦闘時は隊員が合唱しながら突貫する戦法です。
〈聖歌隊〉において指揮官は文字通り指揮者でもあります。全体で現象のイメージが統一されているので指揮官が歌い始めれば部隊全員が追従して唄い、最終的に誰か1人でも残っていれば魔術が発動する仕組みです。

また、魔法・魔術に限らず行使する際に龍の六色にあやかり系統を分けることがあります。例えば「赤」の「炎」といった具合にです。人類の中である程度世代を重ねると〇〇属性の名門!という家が出てきますが、あれは自分は〇〇属性の名門の出であると言う教育を受け、そうあろうとする意志の力によって指向がそちらに向いていく。というのが実際の所だったりします。

最後に、魔法というのは窮極的には個人の意志によるものなので高位のマジックユーザーは【オリジナル・ワン】と呼称される自分だけの必殺技を持っています。これには個々人の生い立ちであるとか心情が大きく関わっており、例えば同じ「炎」に関する【オリジナル・ワン】であっても「雪国で育った人物の暖かい暖炉の原風景」の「炎」と「故郷を戦火で焼かれ、燃え落ちる屋敷の原風景」を元にした「炎」ではその効果や表出方法は大きく違います。
また、年若い術者の場合、行使する現象が鮮烈な経験により変わってしまうという事も珍しくないようです。そういった意味でもマジックユーザーの間では若いうちに様々な経験を積むことが推奨されていたりします。

そんな訳で魔法の行使、そして魔術についてというお話でした!
次回があれば「杖」やマジックアイテム、あとアーティファクトについてのお話をしたいと思います!

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