昔憧れたスタァになってみた。
中学2年の冬休みに、初めてテレビで宝塚歌劇を観たんです。
最初はすごく気恥ずかしかったのですが、スターさんの笑顔や爽やかさやかっこよさにすぐに虜になって、いつかホンモノを見たいと願うようになりました。
バレエを習ってみたい…
歌を習ってみたい…と思い始め、
脚を上げてみて自分の身体の硬さを知り、こっそり柔軟体操をはじめたり…
横浜に住んでいて、ごくたまに東京を通るとき、東海道線の車窓から見える宝塚1000days劇場(当時は建て替え中で仮の劇場でした。大きな無印良品になったあと、今は新型コロナの療養施設になったとか…)を憧れの目で眺めていたっけ。
演劇にも宝塚にも芸能にもなじみのない家だったので、ぼんやりした憧れはずっとぼんやりしたままで、いろいろな夢を言い出せず、お願いもできず、…いや、言ってお願いもしてみたけれどなかなか理解してもらえず、理解されない中で頑張れるほど当時の私の心は強くなく…
プリントアウトした「宝塚音楽学校の受験案内の取り寄せ方」と「入学試験の内容」をずっと机の引き出しから出したり入れたりして、受験資格を失う高校3年生の願書出願期間の最終日を自室で泣きながら過ごしました。
大学受験の予定で、受験勉強中だったのだけれど、「もしかしたら、ひょっとしたら、機会があったら」と思っていたから頑張ってこられたのです。自分がもう二度と手に入れられない「可能性」が何もしないまま目の前で消えていくのが、悲しかった。
誰も知らない…
高校生まではアルバイトが禁止で、家庭の方針でお小遣いはうんと少なかったので、自由になるお金がなかった。用途や理由を言えばお金を与えてくれる家ではあったけど、親の意見を伺うことなく自分の意思で、時には内緒で使えるお金がないということは、自分だけの時間や世界を持つことがすごく難しいのです。
大学に入ったら自分で働いてお金を手にして、他人の目や評価や意見を気にせず、自分が思う可能性に全力で賭けたいと、心から思いました。
その後、バレエも習いましたし、歌も習いました。
何もせず後悔するのは絶対に嫌、と思って生きてこられました。
大学在学中に計算通り俳優養成所に通い、留年せずに大学を卒業しましたが、習い事も養成所も、一切親に援助してもらいませんでした。
親も、初めて親になったわけですから、不安でいっぱいだったのだと思います。でも私は幼い頃からその不安に耐えられなくて、自分を見失ってばかりだった。できないかもしれないことに挑戦することを極端に恐れながら、一方でそこへの憧れがとてつもなく膨らんでいったのです。
自分のお金と自分の責任で何かをすることは、余計な思考から解き放たれる、とてもシンプルな方法でした。
失敗しても誰かに謝らなくていい。他人に気を遣いながら気が散った状態で全力を出せずに後悔することもない。
私のいまを作った要素がいくつかあるとしたら、宝塚への憧れは、外せません。
舞台の魅力は、俳優が全身全霊で、本気になって生きている姿だなぁと、今も心から思います。その場所に行きたい。一瞬でもそういう時間を過ごせるなら、どんなことでも乗り越えていきたい。
舞台の大小や報酬の多少は問わず、少しでもそういう場に近づけたらいいなと思っていて、それは誰かの評価ではなく、自分の心の決めることだと、今は思えるようになりました。
(写真・山村厳さん)
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