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あかないさん【#2000字のホラー・短編小説】

 夫はいつものように、録画していた昼間のワイドショーを見ながら、遅い夕食を取る。誰かがお金を騙し取ったとか、殺して逃げたとか、不倫していたとかを知らせる、情報番組。夫は、そんな番組が好きだった。
 今は、人が刺されて、それは通り魔の犯行か、という話題だった。テレビから視線を外さないまま、夫は味噌汁をすする。
 私の夕食は、もうベッドに入っている息子と先に済ませていた。夫の向かいに座り、寝る前に飲む白湯の入った湯呑で、冷えている指先を温めている。
「同一人物の犯行にしては確かに、範囲が広いな」
 コメンテーターに賛同する夫に、思わずふふっ、と笑い声をこぼしてしまった。夫がこちらを見るので「思い出し笑いよ」と答える。
「トモキがね。この通り魔の事件は『あかないさん』の仕業だ、って言うのよ」
「あかないさん?」
「昔の、口裂け女みたいな話でね。最近、SNSで話題になっていて、トモキの小学校でも流行ってるんだって」
 そして私は夫に、トモキから聞いた、あかないさんの話を教えてあげた。

 彼女は人気の途絶えた夜道に、突然現れる。真っ白なブラウス、真っ白なエプロンを着け、顔は暗く陰になっていてわからない。離れていたはずなのに気が付くと近くにいて、「開かない、開かない……」とつぶやく声が聞こえる。
 見ると、彼女はケチャップの小袋こぶくろを手にしており、どうやら開けるのに失敗したようだ。

「あー、納豆のタレとか、弁当の調味料。お前もよく失敗するヤツな」
 夫が笑ったので、私も笑いながら言った。
「そう。それでね、不思議なことに、彼女からはどうしても逃げられないんですって。そうするとみんな、目の前の問題を、解決してあげようとするのよ」
「ああ、その小袋を開けてやれば、って思うよな」
「でもね、そう簡単にはいかないらしくて」

 夫の言う通り、小袋を開けてあげた場合。
 彼女は「ありがとう」と言ってそれを受け取るのだが、その瞬間、彼女の白いブラウスとエプロンに、赤が飛び散る。それはケチャップではなく、いつの間にか切られた、自分の首から飛んだ血。彼女が血に濡れた包丁を手に「やっと開いた」と言って、ニイッと嗤うのを見ながら、息絶える。
 また、開けるための道具、手持ちのハサミやカッターを渡しても、もちろんダメ。彼女はそれを「ありがとう」と言って受け取り、ケチャップの小袋に刃を入れる。次の瞬間、目にするのはやはり、鮮血に彩られたブラウスとエプロン、自分から上がる血しぶき。

「バッドエンドだな」
「今のところ、回避方法はひとつだけ。あかないさんに、乾いたハンカチを渡すんですって」
「ええ、なんで?」
「開けるのに失敗するのは、あかないさんの手が、冷たく湿っているからなの。で、ハンカチを渡すとしばらくそれを見つめているから、その隙に逃げればいいそうよ。ふふっ、トモキがね、オレは怖くないって言いながら、ハンカチをランドセルに入れてたのが、ちょっとかわいくて」
「フッ。まあ、気持ちはわかる」
「でもね、トモキは大丈夫なのよ」
 白湯をひと口飲んだ。話の間も箸を止めなかった夫は、すっかり食べ終わっていた。
「あかないさんのターゲットは、成人男性らしいから。あなたの方が、危ないんじゃない? ハンカチ、ちゃんと用意しておくから」
「ハハハッ、よろしく頼むよ。この話、営業に使えるな。ああ、悪いけど先に寝るわ」
 夫は立ち上がって、リビングから出て行った。洗面台を使う音が聞こえてくる。
「成人男性……不倫歴のある、ね」
 汚れた食器を片付けながら。私はつぶやいて、ふふっ、と笑ってしまう。


 彼女はいつも、拒絶される。書いてある開け口から、開けようとしたのに。言われた通りにやってるのに、私はなにをやっても上手くいかない。こんなに手が冷たいのに、温めてくれる人は、どこにもいない。みんなが、私を否定する。あなたが、私を否定する。私はあなたに言われた通り、幸せな家庭の妻でいたのに、あなたは他の誰かを選ぶ。

 こうやって、彼女という怪異に共感し、喜んで飲み込まれる人間はたくさんいる。SNSで共有するのも、一瞬。男たちはそれを、わかっていない。とても自信があって、女ひとりなど、どうにでもできる、そう思っている。

 だから、私の口角は自然と上がってしまう。男の力で敵わなかった怪異に、あなたが震える手で差し出したそのハンカチは、私が洗ってアイロンしたもの。同僚からのお土産? 本当は、あの女性とふたりで行った出張旅行のお土産なのにね?
 夫はハンカチを渡すと、私に背を向け走り出した……はずなのに。正面に、ハンカチを持った白装束の、私という怪異がいる。
 私は広げたハンカチで、包丁の柄を握る。
 ありがとう。手が滑らなくて、どっちも開けやすいわね。


了(←ココマデ1947字)
【2022.9.29.】


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