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01 京の風情とは無縁の楽園

暖簾は真っ白で、黒もしくは藍の染料で店名が染め抜かれている。長いこと軒下ではためいているため生地はよれよれだが、毎日洗っているので汚れはない。店先も、ショーケースも、手入れと掃除が行き届いている。店構えは古びているが、清潔感は失われていない。老舗──という言葉は好きじゃないが、長く継続している店としての矜持が、暖簾の白さにあらわれている。

どうせ飲むなら、そんな店で飲みたい。

繁華街に行き、その日、腰を落ちつかせる店を探すとき、どうしてもそんな店を求めてしまう。滅多にないのはわかっているが、本能がそれを求めてしまう。

これだ! という理想的な面構えの店を見つけたときに限って店休日だったり(マーフィーの法則)、たとえ営業していてもこちらがクルマの運転中だったりして、寄っていくことができない。信号待ちの窓越しに美しい暖簾を見ながら、地団駄を踏んだこと数知れず。入れないと思う気持ちが、余計にその店を愛しく感じさせるのかもしれない。

その店とは、京都で出会った。

当時、ぼくは仕事の関係で定期的に京都まで通っていて、もちろん仕事を終えた夜には土地の酒場で飲むのが何よりの楽しみだった。京料理を出す居酒屋、先斗町にありながら手頃な料金で飲める小料理屋、地元ローカルなチェーンの居酒屋。いろんな京都の顔を楽しんでいた。

あるときのこと。前日の夕方で仕事は終わり、そのまま真っ直ぐ新幹線で帰京してもよかったのだけど、翌々日まで〆切りがないことがわかっていたので、とりあえずもう一泊して少しゆっくり京都を楽しもうと考えた。

安いビジネスホテルをとって一泊。翌日、昼前に起き出してホテルの周辺を散策する。信号待ちで足を止めたとき、正面に見えた店に視線が釘付けになった。

これこれこれこれ!

居酒屋ではない。看板に大きく「お食事処」とあるのだから定食屋だ。いや、定食屋と言ってしまうと、ちょっとニュアンスが違うな。定食っていうのは、おかずとごはんと小鉢と味噌汁が、四角いお盆の上に乗って出てくる感じがするが、ここはそうじゃない。店頭のショウケースを見ると、あるのは丼めしと、うどん、そばのたぐい。で、飲み物はビール瓶と1合徳利がかすかに見える。

つまり、うどんやかつ丼なんかをつまみにして、昼から一杯やれる店、ということだ。

そんな店はどこにでもある。わざわざ京都まで行かなくても、東京にもあるし千葉にもある。神奈川にだって埼玉にだってあるだろう。どこにでもあるのだが、この店の面構えに匹敵する場所は、なかなかない。

まず、「ふく井」という店名がシブいじゃないか。

京都に「ます多」という名店があるように、高級料亭は店名の一部を平仮名にしがち問題、というのがある。志村けんも「志むら」に、棚橋弘至も「たな橋」に、スメグマだって「すめ熊」にすれば、あっという間に高級料亭だ。

もちろん「ふく井」は見ての通り高級料亭でもなんでもなくて、単なるお食事処ではあるのだが、でもこういうのは気持ちのモンだから問題ない。

そして京都の駅前、京都タワーからそう遠くない場所ではありながら、店が混んでいないのもポイントが高い。おそらく、通行人にはこの店は見えないのだろう。ビジネスマンは早くて安いチェーン店に行くし、観光客はもっと京都らしい風情のある店へ行くだろう。

地元民からも、観光客からもそっぽを向かれた楽園。

平日の午前中にわざわざこんなところへ上り込むのは、何も仕事をしていない人か、出所したばかりでとりあえずカツ丼とビールにありつきたい高倉健くらいのもんだ。

と、あれやこれやと思いを巡らせているうちに信号が変わった。ぼくは横断歩道を渡ると、吸い込まれるようにしてふく井に入っていった。

このとき、何を食べたのかを過去の日記で確認したら、肉うどん一杯だけ啜っていた。いまの自分では考えられないことだが、こんないい店に入っておきながら、アルコールを飲んでいなかった。その理由までは書き残していない。この当時は、まだいまほど昼飲みに積極的ではなかったのか。

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