見出し画像

視野が狭くなるのは無意識に因果関係を決めつけているから

高校野球で甲子園に出場する方法って一つでしょうか?
そんなことありませんよね。

野球を生活の中心に置いてトレーニングする強豪校もあれば、勉強にも重点を置くある種文武両道で頭を使いながら甲子園に出場する学校もあります。

このような話は当たり前のように思えます。しかし、日常生活に移った途端にこの考えが当たり前でなくなってしまうことが多くあります。

「多角的視点から物事を見る」とはよく言ったものですが、本当にそれができているでしょうか。僕自身もそうですが、実は無意識のうちにある一定の考え方に縛られていることが多々あります。

これは

多様な因果関係を認識できなくなっている

と言えます。

これだけでは意味がわかりにくいと思うので、この記事を通してより具体的に考えていきます。

副業の定義とは

この記事を書くきっかけとなったのが僕の友達の話でした。

その友達はダンスが好きで、社会人になってからも仕事以外の時間を使ってダンスを続けようとしていたそうですが、会社の規定で副業が禁止されていたそうです。

しかし、その基準を深掘りして聞くと、「社外でお金が発生する事業は禁止な一方で、ボランティアをはじめとしたお金が発生しない事業であれば禁止ではない」ということらしいのです。

この基準を見て当たり前だと感じる方もいるかもしれませんが、僕はこれに強烈な違和感を感じました。

なぜならこの基準には

お金を稼ぐことは本業に支障が出る可能性がある
ボランティアは本業に支障が出ないもの

といった価値観が根底に存在することが見え透いているからです。

特に今回の例は顕著ですが、友達は“ダンスがしたい”のであって“お金はその後”という価値観です。この友達の価値観の中では、“お金をもらうこと”“ボランティア”の間に境界線はほとんどありません。

そして、考えれば当たり前のことですが、お金をもらってパフォーマンスする世界の方がボランティアよりも圧倒的に様々な舞台に立つチャンスがあります。「お金をもらう=対価を払うほど誰かに必要とされている」ということとだからです。

その友達の純粋な“ダンスがしたい”という価値観に対して、あまりにもその会社の規則は一致していないのです。

そしてこれこそが僕の言いたい

多様な因果関係を認識できなくなっている

という状態です。

もっと端的に言うと「お金をもらう→本業よりも時間を奪う可能性がある」という因果関係の認識しかできていないために、「お金をもらう→チャンスに溢れた世界」という因果関係を認識できていないのです。

この認識の相違によって、友達の活躍する舞台が制限されることがおかしいと思うのは不自然ではないと思います。

逆の場合もあります。「ボランティアは本業に支障をきたさない」という価値観は果たして本当に正しいのでしょうか。誇りを持ってボランティを行なっている方だってたくさんいるはずです。そう言った方が時にボランティアを優先する可能性だって少なからずあるはずです。

もちろん企業という人を統治する側の立場から見れば、統計的にお金が絡んだ方が問題が複雑になりすいと言ったような要因をまとめて片付けたいこともわかります。雇用してもらう側の人が企業のためにある程度制限を受けることも理解できます。

しかし、それにしても、“副業”のような世の中に成功事例が溢れているものまで規制してしまうその価値観や、因果関係の認識はさすがに考えるべきところではあるように思います。


日常に溢れる偏った因果関係の認識

もちろん前述のような因果関係の認識の偏りはたくさんあります。

例えば健康に関する話などをするとよく発生します。

どこかの記事でも書きましたが、僕の人生のゴールは“もう一回この人生を送りたいと思って死ぬ”ことです。

そのためには言わずもがな健康でいることは重要です。だからこそある程度栄養に関する知識もつけましたし、サプリメントも毎日食べています。

そしてこの話をすると「そんな健康に気を使ってて疲れない?」「若いしまだそんなこと考えなくていいよ」と言ったことをよく言われます。

つまり彼らの因果関係は「健康に気を使うと疲れる、面倒くさいこと」ということです。

しかし、僕からすれば真逆です。健康に気を使わず病気になった時や、はっきりとした病気にならずとも体の不調で毎日があまり楽しくない状態になる方が“疲れる上に面倒くさい”ことです。しかも、毎日の食事に気を使うのだって疲れます。

だからこそある程度パパッと勉強して健康維持を日々の習慣にすることの方が、人生を豊かにするためには圧倒的に楽な方法なのです。つまり「楽して人生幸せでいたい。だから健康に気を使う」というのが僕の因果関係なのです。

僕からすれば健康に気を使わない人の方が茨の道に進んでいるように感じます。

もう一例挙げるとすると、朝型の生活は偉いみたいな価値観もなかなか偏りがあるように思えます。

よく成功している人は朝型が多いなんてことも言われていたりますが、単純に体の性質だと思います。特に最近情報が回り始めていますが、朝型と夜型はその人の体によって決まるという研究もあるそうです。

僕自身は朝型なのでよく周りから「朝型って時間が取れて羨ましい」のようなことも少なからず言われますが、そんなことないと思っています。

僕から言わせてもらえれば「夜遅くまで起きれない」のです。だから仕方なく夜の時間を朝に移しているのです。僕に朝に時間が確保できて羨ましいと思うのであれば、僕が羨ましいと思う夜の時間を僕が朝に使っているような時間にすればいいというだけの話です。

これもおそらく「朝型だから時間がある、成功する可能性が高い」と言った因果関係が勝手に構築されているのだと思います。おそらく「時間をコントロールするのが上手だから時間がある、成功する可能性が高い」というのが普通の因果関係でしょうが、なぜか朝型が偉いみたいな価値観が多いような気がします。


因果関係は認識することが大事

ここまで因果関係の認識の偏りを指摘しましたが、決して色々な因果関係に合わせろと言いたいわけではありません。様々な因果関係を“認識”することが大事なのです。

副業の章でも書きましたが、人が集まれば集まるほどそれぞれの価値観に合わせた対応をすることは難しくなります。だからこその取捨選択も必要になるでしょう。

しかし、この取捨選択において多くの価値観を“認識している”かどうかが何よりも重要だと言いたいのです。数ある価値観の中から一番重視するものを選びぬくというプロセスを経なければ、そこには“ただただ軸のない偏った価値観”だけが残ります。

対して、多くの価値観を比較検討し選び抜いたものであれば、そこに“ブレない軸”が存在します。これこそ強く人を惹きつけるものになると思います。

例えば僕は“真面目に努力し続けた人が活躍できる社会”こそ理想の社会だと思います。

これは「真面目に努力し続けたから活躍できる」という因果関係ですが、もちろん他にも因果関係はあります。

特にこの資本主義社会では「誰かと違った圧倒的な特徴を好き勝手伸ばしたから活躍できる」こともあれば、過激なストーリーにワクワクする人間の本能から「落ちこぼれが頑張って成長したか人気が出て活躍できる」というものだってあります。

これのどれもが正解だと思いますし、どれが良くて悪いというわけでもありません。

ただ、個人的な意見として「コツコツと努力を続けた人が活躍できる」という因果関係が好きなだけです。自己中人間が心入れ替えて人助けをするというギャップが魅力的なこともわかりますが、その背景で常に真面目に人助けをしていた人の方がより報われて欲しいと思っているだけです。

まとめ

さて、今回もまとめていきます。

① 無意識のうちに自分の中で因果関係が固定されていることがある
② その人の価値観などによって因果関係が時に真逆になることだってある
③ 様々な因果関係を認識することが何よりも重要

因果関係を広く考えるにはやはり“言語化”が何よりも重要だと思います。
言語化する中で物事を論理的に分解していくと、一つのゴールに対して様々なアプローチが存在することに気づきます。

ものすごく当たり前なことを書いていますが、実際に多くの因果関係について考えたことのある人は少ないと思います。大抵の場合、自分の価値観の中の因果関係が正しいと無意識のうちに考えています。

今回の記事で少しでもハッとなった方は、今一度周りの人の意見を聞いてみることをオススメします。


読んでいただきありがとうございます!僕の経験がみなさんの生活を少しでも前に進めることができれば最高です!サポートしていただいたことでできた経験はもちろんnoteに投稿します!