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気絶したように眠って目が覚めてブルーライトのいいなりになる

最近、記憶のなくなる速度が早くなっているのですが、歳なのでしょうか。

変な時間に起きてしまい、いつでも眠れる睡魔がすぐ側で私を見守っているというのにもかかわらず、なんとなくここに来たいなあ、ということで、来ました。

ここにしょうもない私の状況を書いている余裕なんて、ないんです。書かなければならないことはたくさんある。なのにどうして、すべての〆切を見逃してもなおここにやってくるのか。

もう、私の日記プラットフォームとして、成立しているからかなと思う。

私には、私のなかでいくつかの日記プラットフォームがある。Twitter(現X)も、私の気にもとめないような日々よ日記を投稿する場所。他にも、スマートフォンのいちばん使うメモ帳も日記を書く場所(というか文章全般を息吸うように書くところ)だし、パソコンのなかにあるWordファイルでもいくつか日記が分かれている。無論、手書きの日記もいくつかある。

ここ数ヶ月は、(私の内々のなかで)いちばん大きなプラットフォームに行かないようになった。なんでだろうか。純粋に文章を書いていないということもあるなあ、なんて思う。

日記をそんなに分けて何が目的なんだ、と思われるかもしれないけれど、目的はない。ただ、無意識のうちに居場所をいくつかに分けることで、今はここが落ち着くからここ、みたいな安全地帯を増やすことになにか安心感を求めているのではないか。(初めてそんなこと考えたが)

熱しやすく冷めやすいから、あっちこっち行くくらいがちょうどいいのだと思う。


ところで、今何故私は、どうでもいい日記紹介をしているのだろう???

どうでもいい。
寝よう。

そうだ。書きたいことを書かずに逃げてばかりであること。その自分への戒めとして、記しているのだろう。

話を戻すと、(なんで?)
その場所場所によってそこに合わせた顔みたいなのを確立させていくことが、私は多いように思う。だから、このいまnoteを書いている文体も、noteの上で確立されていったものである。だから初めたころとはだいぶ文体が変化しているであろう。

ここにいま、こんな感じに書いているからと言って、他のところで支離滅裂に飛んでいく備忘録を書いているわけではない。(と思いたい。)

そんな感じで終わろうか。

この数日、(私にとっては)早起きをしているので、眠らなければ壊れてしまう。

これを書き終わったあとも気絶して朝が来るまで眠っていたい。

おやすみなさい。

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