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問題をよく読むということ

テストの思い出

テストで一番大切なのは、テストに臨む時の健康状態だと思う。

前日は早く寝て、当日は少し早めに起床することで脳の調子を整えておく。朝食は食べやすいものを、いつもより多めにいただく。
中学受験に向けて通っていた塾の模試の日は、いつも母がおかゆを作ってくれて、刻んだザーサイと共にいただき、おかずは豪華なことにアジやカレイの開きだった。ああした食事がテストでの力の糧になっていたことは間違いないだろう。

中学、高校のテストの時はゴディバのチョコレートを持参していた。
濃く甘いチョコレートは糖分チャージにもってこいで、一日に複数科目のテストがある大変さを忘れて楽しく受験出来ていたのは、真面目にゴディバのおかげでもあると思っている。テストがかなり体力を消耗するものだということを忘れてはならない。

テストの前の時間は、心と身体のバランスを整える時間だと思っていて、簡単な最終確認を終えると静かに瞑想するのがルーティーンだった。
スターウォーズを観る人ならよく分かってもらえると思うが、クワイ=ガンがダースモールとの戦いの前に瞑想していたのと同じ原理だ(と勝手に納得している)。

テストは自分との戦いであると真剣に思っている節があるのだが、今回書きたいのはそうした精神論ではなく、もっと実践的なことだ。前にふと思ったことを書き留めておきたい。

当たり前のことが一番難しい

先ほど、テストで一番大切なのは自分の心身を最も良い状態に保っておくことだと言った。
では、「テストを解く上で」一番大切なのは何だと思うか、と問われたら、私は「問題をよく読むということ」と答えたい。

問題をよく読むなんて、当たり前のことじゃないかと思うだろう。確かに、当たり前すぎて言うまでもないことと一蹴されてしまえばそれまでの話だ。
だが、一体どれだけの人が実際に、テストで「問題をよく読む」ということを実行できているだろう

問題をよく読む

これは非常にシンプルであり、だからこそ、とても難しいことだ。

昔、とある教授に、問題をよく読むときは、自分の他にもう一人(イマジナリーの)お友達をご用意なさい、と言われた。
私は、唐突に何を言っているのだろうと思わず笑ってしまったが、彼は冗談ではなく至極当たり前のように真剣な調子でアドバイスしていたようで、直ぐに口を噤んだ一連の流れを記憶している。
「お友達」がいれば、自分が問題をよく読めているかの確認ができるということだったのだが、これがなるほどよく刺さる。つい笑ってしまったのはあまりに唐突だったからであり謝る気はないが、彼が真剣に言っていた理由がよく分かるというものだ。

高校時代、自慢ではなく成績が良かったのだが、私はテスト勉強をしたことがなかった。
科目によっては予習を欠かさず、授業は人一倍真剣に受け、復習を徹底する。授業も先生も好きだったからこそよく質問に言っていたし、自分では忘れていたが、大学に入ってからそのことを高校の時の同期に指摘されて爆笑したものだ(つまり、それだけ先生に質問行っていた。)。
そうしたサイクルが出来ていると、テスト前になってテストの勉強を始めずとも、大体どこが出題されそうなのかという感覚を含め、テストについて悩むことは殆どなかったという訳だ。
悲しいことに完全に昔話なのだが、その時のことを振り返ると、先ほどの教授の話と似た思い出が蘇る。

私はテストを受ける時、いつも横に、その科目の担当の先生が(目には見えないが、確かに)いた。
笑わないで欲しい。
これは冗談ではなく本当のことで、私がミスをすると先生方はいつもの口調や口癖そのままで指摘してくれ、焦っていると落ち着くように言ってくれた。
私にとって彼らが、「問題をよく読む」ということを思い出させてくれていたのだろう。

問題には、出題者の出題の意図が必ず込められている。
それを隠したがる人もいれば、分かりやすく表に出すタイプの人もいる。問題の癖やレベルには、そうした出題者の性格も反映されているのだろう。

何が言いたいのかというと、問題をよく読むということは、出題者が、どういうことを答えて欲しいと思っているのかということを読み取る、という重要な作業であるということだ。

「重要な」と強調したが、これは人と話している時など、日常においても自然にしていることだ。テストにおいては忘れがちで、ついつい自分の世界(という名の知識の海)に没頭してしまうものであるだけで、皆、いつも当たり前にやっている。
少なくとも私の場合、人とコミュニケーションをとる時は、注意深く相手の話している内容を聞き取り、それを瞬時に脳で読み取っていると思う。
つまり、ただぼうっと聞いているだけでは、彼あるいは彼女が訴えたいことが何なのか分かりようがないということだ。

力が入ると、簡単なことを忘れがちだ。
簡単なことは大抵大切なことで、大切なのは当たり前のことだからだ。

テストを作った人は、問題を通して受験者のどういう技能や知識を確かめたいのだろうか
そして、どういうことをどういう風に答えたら、分かっていることがよく伝わるだろうか

たったこれだけのことを押さえるだけで良いのだ。ただ、これらのことをきちんとすれば、自ずと結果はついてくる。
まあ、もちろん実際に実力が伴っていなくてはならないのだが。

ガガーリンとアポロ;宇宙から見た地球は何色?

最後に、問題をよく読むことの重要性について、自分にとってとてもしっくりきた例えを紹介しよう。
但し、予め断っておくが、分かりやすい例えかどうかは保証しない。

ある人に、宇宙から地球を見たらどう見えるだろうと聞かれたとする。
場合にもよるが、その人は「地球は青かった」という名言を想定してその質問をしたと伺える場合、どう答えるのが正解なのか。

多くの人は、ユーリイ・ガガーリンの言葉として知られる「地球は青かった」を例に挙げ、宇宙から見た地球は青く見えるらしいよ、と言えば納得してもらえるだろう。
もちろん日常会話であればそれ以外の事柄を情報として伝えても問題はなかろうが、(テストの)問題をよく読むという文脈を踏まえると、これが最適解で、他は求められていないということになる。

つまり、ここで、アポロ11号の乗組員が見た地球の話をするのは趣旨から少しずれていて、間違ったことを言っていないが、例えどんなに明朗に語ろうが、問題をよく読めていないとしてテストでは評価されないのだ。
テストでアポロ11号の話をすれば、ボストーク1号の搭乗者であったガガーリンをアポロ11号の乗組員として記憶しているのだと捉えられて、最悪失点をくらうことになる。
「よく読む」と強調してきた意図はこの部分に直結していて、ぼうっと読んでいては見落としてしまう立派なトラップであるのだ。

何が言いたいかというと、簡潔かつ正確な、評価される解答を目指すなら、問題をよく読むという当たり前かつ基本的なことに最も力点を置くべきであるということだ。
幼少期からテストを受けてきた私は、それだけ問題をよく読むことに重要な意味があると確信している。あくまで私の中の経験則だが、実績は保証しよう。

ここはnoteなので、文の流れを無視することを厭わず自由気ままに書いておくが、ガガーリンのくだんの名言は、原文にすると以下のようになる。

Небо очень и очень темное,
а Земля голубоватая.

正確には「地球は青かった」ではないのだ。

空は非常に暗かった。
一方、地球は青みがかっていた。

こちらの方が、対比が美しく、より鮮明に地球の色が思い浮かぶ気がしないだろうか。原文で知っておくことの楽しさの、ちょっとしたお裾分けである。

問題をよく読むことのススメ

話を元に戻すが、テストで点が伸びない人は、是非この話を参考にして欲しい。私の伝えたいニュアンスが1ミリでも伝わっていれば幸いだ。
ただ、一言付け加えたいことがある。それは、問題をよく読むことが重要なのは、なにもテストに限った話ではないということだ。

途中に述べたとおり、「問題をよく読む」機会は、日常の中にいくらでもある
人とのリアルタイムでのコミュニケーション。メールやラインでのやり取り、電車における赤の他人との無言のやり取り、仕事の依頼……。それから、嫌な人の対処法にも、きっとこの技術は活きてくる。

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