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所謂「はじめに」というつもりのちょっとした自己紹介

私は書くことが好きだ。
考えることが好きで、それを文字に表すのが好きなのだ。

だが、これまでの人生で果たしてどれだけのノートを「最後まで」使い切っただろうと振り返ると、これが結構恥ずかしいくらいに使い切れていないのである。
数学の演習用ノート、世界史のまとめノート。授業ノートに日記帳。記憶の中で私は沢山のノートに囲まれている。デジタルと縁遠かった訳ではないし小学校の頃から家に自分用のパソコンがあったけれども、教育現場に今ほどデジタルが入り込んでいなかった時代に生まれた私は、結構アナログな世界を生きてきた。つまり、それだけ紙に向き合ってきたはずだ。
ところがどうだろう。最後まで使い切ったノートと途中で使うのをやめてしまったノートに分けたら、私の場合、断然後者の方が多いと(自信たっぷりに言うことではないが、)明確に断言できる。

そう、悲しいことに私は、続かない人なのだ…!

思い返せば授業ノートも酷いもので、現代国語のノートは横書きのノートを縦書き仕様にして筆ペンでメモを取っていた。呆れるほどの飽き性が楽しく紙と向き合う方法を模索した結果である。
一番残念なのは日記帳で、私と日記帳との歴史はかなり昔まで遡れるはずなのに、日記帳を最後のページまで書いた歴史を演説しろと言われたら、壇上で青ざめて震えることしか出来ないだろう。初めの頃はびっくりするくらいの量の文字で埋まって、その書き口からも日記帳をいっぱいにするのを待ち望んでわくわくしながら書き綴ったことが面白いほどよく分かる。言葉が溢れ出しているのか、筆跡もどことなく急いだような、書き殴るような字で沢山のことを網羅的に、深く重く書いているのである。しかし、それは日記帳の半分も続かない。顕著なのは三年日記を始めたときで、あれは三年分の記録を残すものなのに、一ヶ月で力尽きた。旅行に行く時、いつも日記をつけたくなり、少し特別な高めの日記帳に丁重に書き始めるが、それらは物の見事に文字通りのお蔵入りを果たすのである。旅行記の多くは数日分のメモで終わり、最後は箇条書きになっていって、ノートを捲るということがいかに無意味かを悟って呆れる。日付の下に箇条書きで思い出が綴られただけのページは、やがてダイイングメッセージのように一言だけの感想が残ったページ群へと到達する。後から見返すと、大袈裟ではなくミステリー小説かと思うほど怪しさたっぷりの紙の束と化している訳だ。
こういう経験がおありの方が他にもいたら、不幸自慢よろしくその経験を永遠と話したい。私には永遠に語れるだけの暗い「使いかけ」の歴史があるんですよ。

このように三日坊主の常連さんも驚くほど日記が続いたことがない私だから、noteにお世話になる日が来るとは思わなかった。
思ったこと、感じたこと、気付いたことは携帯端末に入っている「メモ」というアプリに短文で残している。それこそちょっと長めのダイイングメッセージ状態だ。いつしかそこに思いついたことをすぐにメモする癖がついたのだが、気がつけば凄まじい数のメモの残骸が出来てしまった。これらを何かしらちゃんとした文として成立させ供養して差し上げたいと思った私は、真顔でnoteのサイトにアクセスし、真顔でさくさくアカウントを作成した。これなら少しずつでも私の望む形で記録を残せると気付いた訳だ。意味もなく言い換えるなら、紙との因縁の歴史に絶望した結果ネットの海を彷徨い続け、漸くここまで辿り着いたのである。

ここまで根気強く読んでくださった親切な読者は、とはいえ続かないのだろうな、と今頃ニヒルな笑みを浮かべてくださっていることだろう。
はっきり言おう。私だって続く自信はない!
今、私はまさに新品の日記帳を手に取った時と同じようなほくほく顔でPCに向かっているのだから、嫌な予感しかしないのだ。今はキーボードの上で指を踊らせ、エッセイ調で好き勝手書こうと意気込んでいるが、結局いつものように続かないかもしれない。だから、私にとってこれはある意味挑戦なのである。

プロフィールに書いた通り、私、瑠水(るな)の現在の生き様は、まあまあ、いや、かなり残念なものだ。
15、16、17歳の頃は、「私の人生暗かった」を真逆でいく明るく華やかなものだったと思う。ただ、それは私の住む世界が狭く守られたもので、楽しいことも辛いことも私のルールで判断できたからだ。根っからのオプティミストだった私は、基本的に何でも楽しかったのである。
もっといい自己PRがなかったのかと言われれば、「一応はある」が答えなのだが、色々なものを削ぎ落とせば、今の私を表す言葉として、悲しいかな、プロフィールに書いたことだけが適切なものとして残った。あまりに味気なく、ため息が出るくらい冴えないものだ。既に「寄生」を始めている時点で、パラサイトシングルまっしぐらな人間の代表格だという自覚はある。胎児がいつまでも羊水に浸っていられる訳でないように、早急に改善し独立しなくてはならないことも分かっている。だが、人間は変化に弱い。やっぱり羊水は心地よく、そこに浸っていることほど楽なことはないと思ってしまうのだ。
重い腰を上げるために必要なのは、まず、自分を見つめることだろう。自分の好きなこと、考えていること、体験したこと、考えたこと……。そういうことをゆっくり明らかにしていく中で、私は何とか自分を正しい形で再認識できる気がする。そんなの「大人」になる前に済ませておけよと言われるのが分かっているから黙っていたが、私は自分をきちんと把握することをずっと後回しにして、輪郭がぼやけている方が良いと思ってきた。その方が自分の知らない自分がそこにいて何かを成し遂げてくれるような可能性がある気がして楽だった。でも、いつまでもそうしている訳にはいかない。自分の思う「楽さ」からは卒業しなくてはならないのである。いつかは終わりが訪れて、それが始まりになると確信している。だからこそ私は、私のプロフィールを確認し呆れた読者を置いてけぼりにして拙い文字列を一行ずつ増やし、自分を探す作業を早速始めるとしよう。

著名な作家のエッセイは、大抵唸るほど面白い。文才或いは文章力と経験のバランスが気持ちいいから読みたくなるのだろう。そうであるなら、私のような大した人生を歩んでこなかった筆不精もののエッセイなど、つまらないものの象徴で、大先輩・清少納言の言葉を借りるなら、「昼ほゆる犬」や「火おこさぬ炭櫃」と並ぶくらいすさまじきものだと思う。
じゃあ、私から書くことを奪ったら、私の心の中に蠢くこれらはどうなってしまうの?昼に吠える犬が興ざめだって?それでも犬は、昼間にだって吠えるのだ!

これは子供のする言い訳であり、自己暗示の一種でもあるのだが、人に読んでもらう機会のあるものを書くのだから、きちんと宣言めいたものをしておきたい。

それでもここで書きたいのだ、と。

確かに、私のこれまでの人生は正直山や谷のない平凡なもので、人生ゲームのイベントマスらしき何かがあったわけでもない。モノポリーで言えば、誰かが買ってホテルまで建てたケンタッキーやまだ買い手のないボードウォークにとまらない代わりに、序盤に自分が買ったリーディング鉄道にとまり続けるような人生だ(つまり、何も起こらない)。だが、思い返せば面白い話ばかりだから、これが他の人にとっても面白いのか試したいというのが私の本心だ。そして、メモの残骸も積もればノートを埋める立派な文の連なりとなることを実感したい。
どこまで自分を曝け出すかは自分次第だけれど、結局自分を曝け出さないとエッセイは書けないと思う。小説などとは違って、書き手の経験がそのまま文字になるからだ。そういう意味で、怖くないと言ったら嘘になる。そして、結局ちょっと及び腰になっているかもしれないと思っている。私がこれから書くのはエッセイもどきなんだろうな、とも。でも、楽しければいいじゃないか。そういう気持ちで書くから、そういう気持ちで読んでみてくれる人がいたら何だか嬉しい。多分、「供養」の本当の意味は、もともと残骸に過ぎなかったものを人に楽しく読んでもらうことなのだろうから。

怖くないと言ったら嘘になる。
考えるのが好きなだけで、実は書くことは嫌いなんじゃないかと、使いかけの歴史という名の経験則が私に囁いてくるから怖いのである。だが、好きなことを始めると興奮と幸福を呼び覚まされるというのが正しい経験則なら、私は確かに書くことも好きだ。
好きなことだけ続けるのは間違いだという正論を隣の家から漏れ聞こえるラジオの如く聞き流して、くどくどと書き進めてみせよう。

そうしたら、私が本当に「書くことが好き」かが分かるような気がするのだ。


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