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本当だった!これがストリートトゥルース!

俺はTwitterでは街頭技巧の事しか書かないと決めてて、アカウント名も「街頭技巧 ストリートテクニック」に変えてしまったんだけど、どうしても言いたい事や中身のある事はこうやってnoteに書く事にしていて、やっとこの感じも自分の中で慣れてきた。

俺たち世代の日本最高のコメディーの英雄がいま生死の境で闘ってる。例によって、なんで、志村けんなんだろう。今の若い子に熱烈なファンは少ないかもしれないけど、志村けんは日本の小学校、中学校の日曜日の話題を提供し続けていた偉大な笑いのレジェンドだ。
そして、多くの人々に愛されている。
笑いは生きる活力だ。そんな活力を生み出す人がよりによって、あの目に見えない悪魔に襲われた。そんな人がもし亡くなってしまったら、日本人の「士気」がガタ落ちしてしまう気がする。なんとしても回復して「だいじょうぶだぁ」の声を日本人聞かせてほしい。

でも、亡くなってしまったとしても、「とんでもねえ、あたしゃ神様だよ」の言葉通り、あの人は笑いの神になったと思うようにするんだ。
神は蘇り我々を救うかも知れない!

志村けんが教祖になり、三又の太鼓を叩き、それにあわせて「だいじょうぶだぁ!」を連呼する「だいじょうぶだぁ教」のコントは未来を予言していたのかも…なんて不謹慎な事を言うとすぐに目くじらを立てる人がいるからやめておこう。
とにかく志村さんの無事回復を祈りたい。

しかし、いまや世界中を覆い尽くす病魔!
都市閉鎖!不安と絶望の渦巻く空気感!消えゆく娯楽!
なんか社会全体が留置場みたいだよなと思う。
檻がないだけで。気持ち的にはね。

留置所と違って酒もタバコもあるし、映画もテレビもネットもあるけどね。
しかし留置所は本も読めるし、働かなくてもメシも出てくるから今より呑気だったかもなぁ。

マジで疫病って、子供の頃は歴史の授業と「信長の野望」くらいでしか馴染みの無いワードだし、大きくなってからも映画とかドラマ、そしてディストピア系ゲームで馴染み深くなったけど、リアリティはほとんど無くて空想上の産物でしょ?くらいに思っていた。
そんで、近年のSARSとかMARSで、海の向こうでヤバい事起きてんな〜、くらいで思ってたのに、ついに来た。

最近仲間内で、ストテク綾瀬編でメテオくんが自販機の前で繰り出した「ストリートコマーシャルトゥルース」の中の「本当かァー?」「本当だった!」がすげー流行っていて、それふうに言うと、つまり

「疫病が流行ってる?本当かァ〜?」

コロナパンデミック後

「本当だった!」

これがストリートトゥルース!

と言うことになる。

「本当に来ると本当にこえー!」

と言う超当たり前の事に対して、想像力がかけてたと思うし、俺を含めた人間の殆どがそうだよなぁ。
いざその時になってみないと実感なんて出来ないものだねえ。

この後、自分や家族や知人に全く影響がない前提であれば、こんなにヤバい体験は無いよ。
スクリーンで見る世界をこれから味合うことになるかも。

今、俺たちは、完全に他人事だったらド級娯楽作品になるような大スペクタクルの中の登場人物の1人だ。

いろんな人に会って話すたびに「俺たちはとんでもない時代に生まれちゃいましたね」なんて笑顔で言い合う。

たまたま生まれて生きてる間に、とんでもない事が起きている。
めちゃめちゃ自分の事なのに、あえて第三者視点で面白がって「こんな人類史上でもまれに見るスペクタクルを体験してる!やべー!」と思う気持ちと絶望と恐怖に苛まれる自分があるのだけど、絶望と恐怖に苛まれるよりも、スペクタルの1人の登場人物(最初の方に死ぬ奴かも知んないし、死んだらそのあとの展開が分からなくなるけど)だと思っていた方が精神の健康上には絶対良い。

運悪く自分が発症した時もそう思えるかは別の話だけど、あえて他人事のように考えてみる、ロールプレイしてみる、という事で絶望のネガティブマインドから逃れることはできるよ、という「視点」の話だ。

俺の経験上、精神的にポジティブな奴のが、たいてい何とかなるし、そのポジティブな視点を常にどこかに見出して自分の感情として獲得していく事もストリートテクニックの本質なんだと思う。

つまり、どんなにヤバい状況でも自分を俯瞰(ふかん)して、ドラマや映画などの登場人物になったつもりで、自分なりに適切に行動する!

これがストリートサバイブテクニックだ!

街頭技巧!ユノーウ?覇ァ!




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