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「バジュランギおじさんと、小さな迷子」を宗教二世が観て思うこと

ずっとどんな風に書こうか考えて悩んでましたが、
インド・パキスタン分離独立後2015年の映画「バジュランギおじさんと小さな迷子」について書こうと思いまして。

パキスタンの美しい山奥で小さな村に住む発語が遅い6歳のシャヒーダーはある事故にあってから「このままではいけない」と「インドにある奇跡のお堂」にお母さんと行くことになります。そこに行けば言葉が話せるようになることを願って2人は国境を超えるインド行きの列車に乗ります、しかしちょっとした事でシャヒーダーはお母さんと離れ離れのまま迷子になって…
という導入からまずは入っていきます。
100万人の死者を出してヒンズー教はインドへ、ムスリムはパキスタンへ渡ることになったインド・パキスタン分離独立。言葉は通じるのに、
お母さんは「まだそんなに離れて居ないのに」、と泣きます
「たった5分のところよ、いますぐに探せるのに」
しかし、そこは別な国インド。そんなに簡単に通ることなどできません
嘆くお母さんに「インド人にだっていい人はいるかもしれない」という老人。それだけが自分の名前も言えない6歳の少女への希望なのだと。
お母さんの嘆きを他所にジャヒーダーはデリーへたどり着いてしまい、「ハヌマーン(バジュランギ)」のお祭りを目にします。

そこで出会ったのが強烈な赤の中を一際にぎやかに練り歩くおもしれー男…
「バジュランギおじさん」こと「パワン」でした。
「ラーマ神の胸を開いてごらん、ハヌマーンがいる。ハヌマーンの胸を開いてごらん、僕がいるさ」と歌うパワンに不安だったジャヒーダーの心は安心を覚えます。
「おもしれー男…」という訳です。

パワンはご飯中にいきなり懐いてきたジャヒーダーに戸惑いますが、2つナンを上げるだけで立ち去る訳にも…と取り敢えずお世話になっている婚約者の家に連れ帰ってしまい、のんびりどこの子か調べよう、となります。

ジャヒーダーはムンニー(お嬢ちゃん)と呼ばれ色々な所に連れていかれますが、さっぱりどこの子か分かりません。
そのうち、ご飯を食べにいった場所でほかの子供がお母さんに甘えているのを見て泣きそうになってしまいます。
そこでパワンと婚約者が歌いながらなだめてくれ、ムンニー(ジャヒーダー)も笑顔を取り戻します。

ここで、ふと思ってしまったのが「わたし、こんな風に泣き止ませてもらったりしたことあったかな?」ということ
なんだか小さい頃から「大人であること」を突きつけられて
他の人から「あなた達はピーッと笛を吹かれたら4人揃ってお母さんの前に並ぶように躾られてるんだと思った」といわれた子供時代だったような…

進みまして、変わらずムンニーの親探しは続きます、がとあることからムンニーがパキスタン人であることが分かってしまい、異教徒に厳しいお父さんは「一刻も早く追い出せ!」と怒ってしまいます。
仕方なくパワンは婚約者の力もかりてツアーガイドにお金を渡してパキスタンまでムンニーを連れて行ってもらうことにしました。

しかし、少し寂しくなったパワンが夜中にムンニーとツアリストが向かった先を追っていくと
そこは娼館でムンニーは売り払われようとしていました。

そこでパワンは決心をします。
「俺が連れていくしかない」
ビザもパスポートもない、そんなパワンがパキスタンまで言葉を話せない少女を連れて行けるのか?

しかし、出来るのです、詳しくは観てもらって頂きたいのですが、
これは壮大な「おとぎ話」です。
インドからパキスタンまで、宗教に拘らず、或いは宗教に基づいてパワンとムンニーを助け、遠いムンニーの小さい村まで届けてくれる優しい人達がいるのは事実でしょう。どんな宗教にだって敵対国の子供が泣いていたら、困っていたら少し力を貸そう
そう思った人たちが途切れずにいてくれたのが奇跡であり「おとぎ話」だと感じたのです。

でも、誰も助けてくれなかった子供時代を過ごした宗教二世として思うのです。
「優しい人達が神に頼らなくても奇跡を起こせることだってある」
と子供の頃撫でて貰えなかった頭を優しく撫でてもらったような、大切な宝物を貰ったようなそんな気持ちになるのです。

今、パキスタンはアフガニスタンとの国境問題によって再び争いに向かっています。
何人もの子供たちがお腹を空かせ、家をなくし、お母さんを無くして泣いているでしょう。
「神に頼らないで起こせる事」がなにか無いか、映画で流れていた曲を聴きながら考え続け、探しています。


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