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第4話 [カショウ]MIRAH-0017からの来客 - 禍後の楽園から

その青年が私を訪ねてきたのは一昨日のことだ。彼はシオと名乗り、頭脳都市(PHENO-00)へ向かうと言った。

この世界では、他の土地から人がやってくることはあまり多くない。たいていのことがオンラインで事足りてしまうということもあるが、危険が街と街との交流を阻んでいるのが最大の理由だ。

母に会うため。青年はそう言った。母に会うため、MIRAH-0017(MIRAH-XXXXとは行政区画ナンバーだ)からやってきたと。それ以上のことは語らなかった。

私は唸った。あそこへ行くのは並大抵のことではない。なぜならPHENO-00は隔絶の都市だからだ。他の都市間を行き来するのにもそれなりの危険がともなうが、PHENO-00は他の行政区間との物理的距離をさらに置いている。

役人たち(PHENO-00の住人を、私はそう呼んでいる)が街を移動する際には、高性能のマスクや防護服、専用の交通手段などが用意されているが、我々一般市民にはそのようなものはない。

国に申請すれば、安全な移動手段の利用を認められることもあるが、青年の話を聞く限り、許可が下りそうな材料はなかった。

「カショウ、あなたなら頭脳都市のことをよくご存知のはずだ。この国の設計や仕様も。そう思ってここへ来たんです」

いやいやいやいや。私があの計画に携わっていたのはもうずいぶん前のことだ。あれ以来、私はそれ以前ではありえない平穏の中で暮らしている。家を出て15歩も歩けば、いつでも孫の顔が見れる。昔の、まだギラギラしていた“オレ”が見たら、平和ボケしてんじゃねえぞジジイと罵ってくるだろう。

しかしここは、平和ボケがデフォルトの世界だ。「ボケ」などという不穏当な言葉を知っているのも、もはや私が最後の世代だ。SNSで意見の対立する相手と罵りあい、煽りあったあの頃が懐かしい。

「おもしろそうじゃない?」

サタが横から口を出す。私の妻だ。

「お前は黙っとれ!」

シオは驚いている。いや、“お前は黙っとれ!”というのは、サタの親父さんの口真似で、我々夫婦間の定番のジョークだ。身内ノリというやつだ。さすがに私の世代でも、妻を“お前”と呼ぶことはない。

きゃきゃきゃと笑うサタ。シオは完全に置いてきぼりをくらっている。

ともかく、私がこの青年の手助けをするにしても、もう少し根拠が必要だ。素性もまだよくわからない。

外はいい塩梅に暮れてきた。私は彼を“シロ”へ連れ出すことにした。

外を歩くと、通りすがりの若い娘がキラキラと瞳を輝かせて真っ直ぐシオを見ている。

ここの人間、特に私より若い世代には、疑いや恥じらいといった複雑な概念をほとんど持たない。非常にシンプルな精神構造をしている。子どもや動物のようだなどと乱暴なことを言うとサタに怒られそうだが、それほどみな、自分の感情に素直だ。そしてこの平穏な世界の人間は、どちらかというとニュートラルからポジティブな感情の中にいることが多い。

きっとその娘も、それが見知らぬ顔への単なる好奇心なのか、異性への興味なのか、自分でもわかっていないのだろう。

一方シオは、この世代の人間にはめずらしく、娘の視線を意識しているようだった。彼が複雑さを抱えた人間であることは、私にもいくらか想像ができた。

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