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愛を描くことへの理解

国立新美術館で開催されている「ルーヴル美術館展 愛を描く」を3月の上旬に観に行ったので、忘れないうちに感想を記す。
あのルーヴルの絵画たちが日本に来るということで、個人的には前々からかなり期待していた。
だが結論から言うと、絵画はもちろんすばらしかったが、違和感を覚えた企画展だった。その「違和感」の原因は「愛」というテーマにあったと思う。
単純に絵画から「愛」を読み取ることができなかった。
というのも、宗教的な愛を描いた絵画の展示が多く、無宗教という典型的な日本人の私には理解するのが難しかった。単純に私がキリスト教社会や西洋美術に対して不勉強なだけではあるが、やはり馴染みのない価値観での「愛」を享受するのは大変だった。

毎度の如く絵画の横には解説文があるのだが、聖書からの抜粋も多く、聖書の内容から愛を解かれてもちょっと想像が難しい。特に2章までは宗教色が強く、「Ⅰ.愛の神のもとに―古代神話における欲望を描く」「Ⅱ.キリスト教の神のもとに」という章題が付いている。決して絵画が粗末なわけではないため、私が不勉強であるということに念を押すが、章と絵画の解説文を読んだうえで絵画を観ても、絵画自体が非常に高級なことは感じ取れるが、解説の意味をよく理解できないため正直「うーん?そうなんだあ?」という感情で会場を廻っていた。
3章では人間の愛にスポットが当てられ、章題は「Ⅲ.人間のもとに―誘惑の時代」だった。男女の官能的な絵画も多く、企画展の目玉であるフラゴナールの『かんぬき』も3章で展示されていた。人間の愛なら理解ができそうに思えるが、描かれるモチーフの人間が庶民にしろ、ブルジョアにしろ、数百年前の愛を観て共感をすることはできるだろうか。愛の駆け引きとか、悲愴感とか、暴力性とか絵画が暗示していることを理解することができても、自身が今抱いている、もしくは享受している愛と数百年前の西洋社会の愛を照らし合わせて同じ場面として共感することは難しい。現代のドラマや歌詞に描かれた愛とはまた違う。一致していると言えるほど自身の体験と極めて似ている状況や場面の愛(恋愛)を創作物から受けたときの心の動揺(伝わるかな笑)のようなものは感じられなかった。
最終章である4章「Ⅳ.19世紀フランスの牧歌的恋愛とロマン主義の悲劇」もまた宗教観が強く混じり理解しづらかった。
このような具合で、どうしてもキリスト教社会の「愛」を理解しきれなかったため、企画展の「愛を描く」という題に違和感を覚えてしまった。
もし私が企画展の題を決めるのなら「ルーヴル美術館展 キリスト教社会の愛を知る」とか、「ルーヴル美術館展 近世ヨーロッパの愛に迫る」といったところだろうか。
とにかくこんなイメージの企画展だった。

また、違和感を加速させた原因としてプロモーションも挙げられると思う。正直これは酷いといっても大袈裟ではないだろう。企画展ホームページはこれでもかと「愛」のイメージを前面に押し出していて、ピンクの配色が目立つし、ハートが至る所に散りばめられている。

図録。LOUVREからアルファベットを抜粋してLOVE
ちょっと演出がやりすぎな気がする。

極めつけは、展示会場に入るとすぐに現れる大きな門みたいなピンク色のハリボテだ。流石にあまりにも安直で俗っぽすぎる「愛」のイメージで、高尚さが微塵も感じられない。かなりくどい。というか、安っぽい装飾の後に突如として写実的な絵画が現れ、解説には聖書の難しい引用が書かれているという差がもはや面白かった。
ピンク色!ハート!LOVE!といって我々が想像するような愛をプロモーションで打ち、一見すると鑑賞する者を篩わずに広く門戸を持たせているが、絵画は我々が想像する愛とはかけ離れている。この違和感が強烈だった。
ここまで「愛」というテーマが全面に押し出されてなかったら、より絵画自体の質の高さを体感することが出来たと思わなくもない。


近世の写実的な絵画はその技量に圧巻ではあるが、やはりこう見たもの、感じたものをあるがままに描いた印象派の絵画のほうが、心が躍るというか、ときめくというか…。没入感が圧倒的に違うので、愛とか恋みたいな感情を表現するには、印象派のような作風が適しているのかなと思ったりもした。
例えモチーフが愛を表現した場面でなくて、海や田園や街並みなどであっても、作者は感じたものを生き生きと描いたのであれば、鑑賞者は自然とその感情を汲み取りたくなる。作者はどんな心境だったのだろうか?この素敵なモチーフを私も実際に観てたらどう感じたのだろう?もし好きな人と一緒に観てたら?絵画を前にいろいろな想像が膨らむ。もはやそれは、その絵画のなかに自身が入り込んでしまっている訳であって、極論を言ってしまえば絵画に対して恋をしていると言っても過言ではないと思う。それこそ「愛を描く」こと他ならないのではないだろうか。

ブーダンの絵がだいすき

絵が上手いとは何だろうか。写実的な絵画は誰がどう見ても上手いと思うだろうが、上手い要素に写実的は絶対だろうか。心を打たれ、ときめきを感じる絵画にはもはや画力なんかを度外視した没入感がある。
最後にルーヴル美術館展の話から逸脱してしまったが、絵の上手さについて考えさせられ、また印象派のときめきを欲した企画展だった。



おわり
最後まで読んでくれてありがとうございました。

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