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移りゆく街

10月31日、都心へ上る。
最後に見ておきたい場所があり、千代田線の日比谷駅で降りた。
ホームへ降りると程なくして、北千住方面の発車メロディ「スニーカー」が流れて気分が高揚する。千代田線の発車メロディは名曲揃いだ。革靴が似合う日比谷駅の発車メロディにスニーカーというタイトルを付けた作曲者は天才としか言いようがない。
話が逸れてしまった。日比谷で降りたのは新有楽町ビルヂングを最後に見たかったからだ。新有楽町ビルは2023年10月31日をもって、56年の歴史に幕を閉じて閉館し、後に解体される。私は解体前にどうしてもその美しい建築を写真に収めたかった。

日比谷,有楽町,銀座は隣接している。丸の場所が新有楽町ビルヂングだ。
黄緑のラインが千代田線。千代田線の日比谷駅から数分歩けばJRの有楽町駅に着く。
有楽町~東京周辺がいわゆる”丸の内”で洗練されたビル群が立ち並ぶ。

メトロの出口から歩いて1分ほどで新有楽町ビルヂングに着いた。
JR有楽町駅側からの方がビルがよく見えるので、ビル伝いにJR側へ回る。

JR有楽町駅側から見る新有楽町ビルヂング
1967年竣工

やはり何度見ても立派な建築だ。黒とも焦げ茶とも言えない外壁タイルの深い色は、現代の建築では見ることのできない重厚さがある。
新有楽町ビルの存在を知ったのは中学時代だったと思う。都下に住む私からして都心は憧れの風景であり、中学の頃には一人で都会をぐるぐる回っていた(やばい)。JR有楽町駅を降りるとすぐに現れる新有楽町ビル。決して高層ではないが、色もデザインも明らかに異彩を放っていて、それが古くて貴重な建築であるということは幼い頃の私でも分かった。

圧倒的存在感

実際のところ、ただのオフィスビルが解体されると聞いて、最後に見ておこうと足を運んでいる訳だから、とても印象に残っていた建築ということなのだろう。日比谷公園に行ったとき、銀座で買い物をしたとき、内回りのホームに立っているとき、有楽町を通る度に何となく視界に入っていたそれは、知らない間に私のなかで有楽町のシンボルになっていた。

ビルの中へ。
中に入ると悲しいインフォメーションが。

館内には写真を撮っている人がちらほら。閉館を前に写真に収めたいという人が私以外にも一定数いるようで、愛されてきた建物だということがわかる。

写真を撮る人は居ても、建物内のテナントは全て移動していてがらんとしている。テナントの案内看板も真っ白の状態だった。
テナントが入っていないからこそ、私服の大学生がづかづかと入って撮影ができたという皮肉。

この年代くらいの建築は角ばっていて無機質な雰囲気があり、古くも近未来的な印象を覚える。建築に関して無知なので詳しいことはわからないが、他に例を挙げるとすれば国立西洋美術館(1959)とか中銀カプセルタワー(1972)とかが同じ類な気がする。あとソ連の建築とか。この手の建築はロマンがあるよね語彙力。

1階テナントの扉
階段
メトロ有楽町駅に接続する通路がある。

細かい箇所からもレトロさを感じさせる。現代には無いデザインがむしろ斬新でかっこいい。

タイルは青色だったという発見

最後に外のエンブレムを撮った。せめてこれだけでも残して欲しい。
新有楽町ビルに限らず、思い出のある建物や文化的価値のある建物が解体されてしまうのは悲しい。しかし老朽化のことなどを考えるとやむを得ないのだろう。
最後に、ミスチルの「東京」という曲の歌詞を抜粋したい。

思い出がいっぱい詰まった景色だって また破壊されるから
出来るだけ執着しないようにしている
それでも匂いと共に記憶している 遺伝子に刻み込まれてく
この胸に大切な場所がある

Mr.Children「東京」

1300万人がひしめき合い、目まぐるしく変化する東京の景色を、その瞬間ごとにしっかりと目に焼き付けて、胸にしまっておきたいと思った。



おわり
―――――――

JR有楽町駅のイギリス積みレンガと、見るからに古そうなリベット打ちの鉄橋も見もの。


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