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nocturne

最近のことを脈絡もなく。

金木犀の香りがしてnoteに秋を感じたとでも投稿しようと思っていたのに、金木犀の花なんてとっくに枯れていた。

投稿が2ヶ月も滞ってしまった。
というのも自動車免許を取るというたった一つのことが気掛かりで、どうも創作活動に精を出すことができなかった。内定先の入社条件として普通自動車免許の取得が必須だ。東京の配属だとあまり車には乗らないようだが、とにかく免許を取得しなければならない。私はまだ免許を持っていなかったので6月に友達と一緒に合宿免許に行ったのに、本免試験に行くのがなんか面倒で教習所を卒業してから約4ヶ月も経っていた。内定も貰い、大学の単位も取り終えているのに、免許を取得していないことがのどに刺さった小骨のように気掛かりだった。だが先日、遂に重い腰を上げて本免試験を受けに行って免許を取得した。ようやく本当に自由になった気分だ。

私はたくさんの物事を並行して進めることができない。もっと要領の良い人ならマルチタスクで熟せるのだろうけど、私は一つのことで手一杯だ。とっとと免許を取りに行って、noteの投稿をして、絵を描いて、読書をして。一日で多くのやりたいことや、やるべきことに手を着けられたらどんなに素敵だろう。タスクに追われ、それをこなせない日々。自身の生活を怠惰だとか言ってnoteに記すけど、これでは殆どの投稿が怠惰日記になってしまいそうだ。
しかし日々の生活で実感するのは、人は想像以上にイメージ通りの生活ができないし、物事を継続できないということだ。手帳に書かれた予定たちは斜線だらけだし、これまで幾度となく言い続けた「明日から本気出す」はイメージした2割くらいの力しか発揮できない。それならば最早、怠惰であることを前提にして、その生活のなかでどのように幸福感を持って充実した日々を送れるかと案ずるべきではないのか。イメージの2割の力が私の本気なのだと割り切ることが、メンタル維持には大切な精神かもしれない。
大学の友達がnoteで「続けることの難しさ」について語っていて、優秀な彼も継続に対して葛藤があるようだ。またもう一人の大学の友達は「誰にでも弱いところはあるけど、人に迷惑を掛けなければ本当の自分はどうだっていい」みたいな深いことを一緒に飲んでいるときに言っていた(気がする)。明るくて優しい彼らもまた、私の知らないところで葛藤があるのかもしれない。だとすれば自身も無気力な生活と悲観的な性格を引き連れながらも、表では明るく振る舞えてやるべき事を期限内に出来れば及第点なのかもしれない。現状を悲観するより、楽しみながら成長したい。
芸術の秋?読書の秋?らしい。でも描きかけの油絵も机の積読山脈もまあ冬でも春でも好きな時に消化していけばいい。やるべきことはやろうね。

そんな大学の友達とも、コンスタントに会える回数は少なくなりつつある。気づけば4年の後期が始まって既に7週目。全15週のうちの7週。ゼミの帰りにいつものメンバーの誰かが提案せずとも飲みに行く流れになるのは、みんなも徐々に迫る卒業が頭の中にあるからだろうか。卒業の3月なんて先に感じられなくもないが、私はもう週1回のゼミにしか大学に行かないので学内で会えるのは数えるくらいなのだ。卒業旅行はどうするとか話しているうちに年が明けているのだろう。書店ではもうカレンダーが売っている。
あっという間だった。大学に入学したのがついこの間のように感じる。
10月の頭に内定式に参加した。偉い人の有り難い()お話を聞いたり、同期と顔を合わせたりしながら、ああ社会人になってしまうのだと痛感する。残り少なくなった大学生の猶予を満喫しなくては。

最近、急激に陽が短くなったと感じる。17時過ぎには陽が沈むし、相変わらずの昼夜逆転生活で陽が昇るのも遅くなったことに気づく。私は夜集中できるのでnoteの執筆は自然と夜中になりがちだ。
現在朝の5時。窓を見ても外はまだ暗く、ヒヨドリの囀りも聞こえてこない。前回記事を投稿した2ヶ月前はもう明るかったのに。
時間が過ぎるのは本当に早いようで寂寞する。暗い朝方、ショパンの夜想曲を聴きながら思う。



おわり
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最近クラシック聴きたい欲が再燃。来世はピアノが弾けたいな(切実)。ショパンのノクターン、2番しか知らなかったけどnote書きながら全部聴いた。14番めっちゃいいね。

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