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ゆとりをもって、あやまたず


ハナミズキに実がつく季節になった。最近のいろいろ。


少し遡って10月末のこと。神保町ブックフェスティバルに行った。
古本の街、神保町に書店や出版社の出店がずらっと並んでいて、大勢の人がそこに集結していた。本に関心はあるものの、読書が習慣になっていない私。自称積読家U22日本代表なので(褒められない)、また本を買ってもどうせ読まないだろうと思ったし、そもそも数多ある出店の中から何の本を買っていいかもわからず、結局一冊も買うことはなかった。
しかし年季の入った古本屋にずらっと並ぶ古書を見ていると、どういう生活をしていたらこの古書(古本というレベルではない)たちを買おうと思うのだろうと考える。自身の生活では絶対に手に取る機会がない難しそうな本や、いつの時代のだよって本と睨めっこしている人を敬慕するばかりだった。
文化的な生活というのは案外難しい。文化を享受するためには、ある程度の教養というか素養が必要だ。現に古本を買う用事の無い私は文学の素養がなってない。そしてもう一つ、生活に余裕が無いと文化は堪能しづらい。その「余裕」というのは経済的にでも時間的にでもあるが、少なからず文化を触れられる活力が無くてはならない。タスクに追われているのに読書も絵画鑑賞もできないのだ。
私のなかではエンタメやコンテンツと肩を並べていると見せかけて、嗜好品的な地位がカルチャーなのだ。
ただ、その嗜好品からはパワーを貰えるし、私を開放させてくれるというか、次の段階へ誘導してくれることは間違いない。翻れば、キャパが少ない自分の特性上?浴びるように享受することが出来ないからこそのパワーなのかと思ったり、思わなかったり。

時々抜き取ってはパラパラと読む机上のスタメン本。
『こころ』素晴らしいよね。

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先日のこと。
アルバイト先の社員さんとまさか相撲の話で盛り上がるとは思わなかった。
大相撲の話が出来る人が身近に居たことが予想外すぎて、個人的にかなり嬉しかった。横綱の休場が続く中、次の横綱候補が居ないと話したときに、その社員さんが言っていたことが印象的だった。
「まあ横綱不在でもいんじゃないかな。紅白の出演アーティストが発表されたでしょ、でももう大御所は全然いないじゃないですか。おじさんだから今のアーティスト知らないけど、見ればそれなりに面白いじゃない。だから相撲だって、圧倒的な横綱が居ないってのも時代でいんじゃない。実際、平幕が頑張ってるし面白いでしょ」(一言一句覚えてないけど、こんな感じ)
何かすごく腑に落ちてしまった。同じNHKの紅白を引用しているのが秀逸だし、現況を批判するのではなく時代として受容しているのが素敵だと思った。たかが相撲トークをしていただけなのに、振り返ると妙に徳の高い話をしていたような感じで変だが、とにかく心を広く持っていたいと思った。寛大で余裕のある価値観は、自分だけでなく周囲にとっても伝播的に利益になるのだ。些細なことで苛立つのをやめよう(自戒)
やはり「余裕」というのは生活のキーになるのかもしれない。
内定先からの課題や大学の卒業研究とか、暇とは言ってもやるべきことはある。心の余裕だけじゃなくて、時間の余裕も持って過ごさなくては。


この前、明治神宮に行っておみくじを引いた。神宮のおみくじは吉凶を占うものではなく、明治天皇と昭憲皇太后が作られた和歌(大御心)が記載されている。

紙がとっても美しい。

裏側には現代語訳と解説文があり、
世の中は、とかく過ちが起こりやすいものです。これを避けようと思えば、どんなつまらない小さなことでも、万事慎重に取り扱わないではいられなくなります。
心の手綱をゆるめずに大事をおそれず、小事をもあやまたず、慎み深くいたしましょう。油断は大敵です。

と書かれていた。仰る通り。
余裕を持った生活を望むが、余裕を持つことと調子に乗ることは違う。余裕の中に潜む放漫にも注意せねばと身が引き締まった、暮近づく霜月のこと。




おわり
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神保町の古本屋、古い建築が多くて興味深い。文化財レベルの建物がたくさん。読んだ本の紹介は難しいけど、積読本と目星を付けたままずっと買っていない本の紹介なら出来そう()


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