プロデューサー気取り

  もはや十年以上も前の話だが、当時大学院の博士課程に在籍しているときのこと。当時の指導教官から、「君のようなつまらない問いを抱えている奴は、死んでどこへでも消えたほうがいいよ。」と言われた。
 当時の思いを、まさにルサンチマンの語源どおりに、どういったものだったかと繰り返し反復して思い返し、思い起こし、思いあぐねてきた。一言で言えば、〈いとあさまし〉と言った気分であったのだろうと少しずつ、そのときが言語化可能になっている。やっと、少し言語化できつつあるのは、社会学者の富永京子さんのおかげである。

 ここで、確認したいのは、当時も今も、その有名哲学者を恨む気持ちは些かもないということだ。ただし、あのとき直感したのは、このようなコミュニケーションの形式が続くとしたら、それはどう転んでも時代錯誤も甚だしい結果になってしまうということであった。
 
 たぶん、そして、今も、十年前の私のような状況にある大学院生(や新入社員やその他の方々)は少なからず存在するだろう。そして、彼女や彼も大学院から消えて行く。そうして、学者世界に残るのはある一定の属性を色濃く有する者たちだけとなる。その色濃さが、二十代の学生からすれば、これまた灰色に感じられ、新規参入を阻む見えざるヴェールとなっていく。

 これに対して、「どんなところにも辛抱というものが大事なのであり、その辛さを解決するのは、自分が大きくなること以外にはないのだ。」という馬場あき子さんが2014年のエッセー「さくやこの花」で書いておられた考え方が一方であることを私も知っている。そして、そうあろうとした時も私にもあった。

 だが、しかし、あのとき、かつての指導教官に、「どこへでも消えたほうがいいよ」と、手で私を払いのける身振りとともに言葉を渡されたときに感じたことは、この馬場あき子的な解決方法が決して本当の解決になるのかどうかという問いである。いまなら、そのように言語する。つまり、どうして、私一人が(あるいはその指導教官が)この状況のために自分の選択の幅を狭めなくてはいけないのかという問いである。それは、近年、富永京子さんの言葉から意識された問いである。
 辛い状況にあっても叱咤され、辛抱し、それを乗り越えてある種の成功を手にできたならば、それは幸せなのだろうか? (人につらくあたるのは自身も覚悟のいることだが、敢えてあなたが良くなってほしいから辛くあたる。そして、その叱咤を乗り越えて彼は成長してくれたならば、それはその教員の幸せなのだろうか?)
 もしかすると、その成功体験はまたもやある種のハラスメント性を教育の重要な手段として認めることになってしまうのではないか。しかし、教育は(ましや日常の人と人のコミュニケーションは)支配関係ではない。強制的で暴力的な手段によって他者に支配され、或いは、支配されることで、ある業界の軌道に乗っかっていくとするならば、それは人間性の否定といった側面を持つだろう。

 では、十年前のあの状況で私が取り得た本当の解決策は何だったのだろうか? それは決して、現在流行っているしかるべき第三者機関に訴えるなどということではない。裁判、或いは、調停のための制度的なあらゆる会合は、制度的であるがゆえに、いまだ真のコミュニケーションの醸成の場としては未発達だからだ。
 私のとった手は、児童童話「11月のマーブル」にあるような、感謝して去るという手段だった。それはだが、多くを失うことと引き換えでもあったのではなかったか。私はいまこの十年で失ったもの、或いは期せずして手にしたもののために、表現媒体を広げようとしている。その先に、「プロデューサー気取りの読者」という新たな敵が出現するとしても。

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