ちゃんと英語をやらないと、そろそろやべえ気がする。
私はアメリカ人の夫と結婚し、6歳の娘と3歳の息子を育てている。住んでいるのは日本。子どもが生まれる前、夫婦での話し合いを経て、私たちは子どもと英語で話すことを決めた。主な理由は、日本に住んでいながら英語ができる環境のためには、家庭内は英語がいいだろうということだった。
「僕は母国語だけど、大変なのはあなただと思う。大丈夫?」と夫には最後まで聞かれた。
私自身は日本で生まれ育ち、学生時代に英語を多少勉強した程度の人間なので、第二言語で子育てをすることにもちろん不安はあった。というか、今も絶賛継続中である。それでも英語で子育てすることを選んだ理由は、過去のnoteにまとめたとおりだ。
当時はどんなふうに子どもが言語を習得していくのか、どんなふうにお喋りが始まるのか、想像の域を出なかった。いろいろなブログや事例を見たところで、親の英語力も家庭環境も、子どもの個性だって同じものはひとつもないわけで、我が子がどうなるかなんてタイムマシンに乗らない限りわからない。
今の状況としては、子どもは2人ともバイリンガルだ。日本語と英語、どちらの話もよくわかるようだし、どちらの言語でもまあよく喋る。私たちの一番の願いであった「両家どちらの親とも会話ができる」は今のところ叶っており、嬉しそうな親の姿を見るたびに、やっぱり英語で子育てしてきたよかった……と思うのだった。
ところが、だ。
私は今、少し焦り始めている。タイトルにもあるとおり、「そろそろ英語ちゃんとやんなきゃやばいんじゃね?」とここ数年思っているのである。その理由はふたつある。
子どもの質問が難しくなってきた。
何よりも、これです。
いや、わかっていたはずだった。子どもの話す内容がどんどん難しくなっていくことなんて、百も承知だったはずだ。だから、それまでに私ももっと英語力をつけていこう〜と思っているうちに、あっという間に娘のおしゃべりが上達してしまった、というのが正直なところ。この6年間、なにをしていたんだお前はあああ!
例えば、秋晴れの気持ちいいある日。保育園への道すがら、娘がふと"Hey, why are these ginkgo so smelly now?(なんで今頃の銀杏ってくさいの?)”と聞いてきた。
え、知らない……。これは言語の問題ではなくて私の知識の問題なのだけど、私は瞬時に答えられなかった。
とりあえず、今は秋だから銀杏の実が落ちてくるんよ……と答えるべく、あたふたと”Well, because it's fall right now…(ええと、今は秋だから)”と言ったところで、被せるように”What's fall? What do you mean "season"?(秋ってなに?季節ってどゆこと?)”と被せてくる容赦ない娘。
ええええっとおおおおお、まず我々が住んでる地球っていうのは自転しておりだなああああ……撃沈した。
また、別のある日。娘がこっそりと私に”Mommy, my friends said my Japanese is funny..."と相談してきた。なんやて、そりゃ大変だと相談に乗って私の見解を述べたい!と思ったものの、なかなか適切な言葉が出てこない。結局、英語を諦めて日本語で私の言いたいことを伝えたけれど、本当は娘が慣れている英語で伝えられたらよかったなと思った。
今後、子どもたちからの質問も相談も、どんどん難しくなる。私が伝えたことが彼らの価値観の一部にもなっていくだろう。もっと私の考えていることを適切に伝えたいし、彼らの言葉を引き出せる私でありたい。そう思うと、私の英語力はまったくもって足りないのだ。
夫との対話をもっと深めたい。
私の夫は日本語ができる人だ。大学では日本文学を専攻して夏目漱石やら村上春樹やらを読んでいた夫。私よりも侍の名前に詳しい、と言えば、なんとなく日本語レベルはイメージしてもらえると思う。
とはいえ、子どもたちに英語で話すことにした日から、夫は基本的に英語で話すし、夫婦間でも英語で話すことがデフォルトになっている。日本語で話すのは、私の英語がうまいこと出てこなくてつい日本語を使ってしまうときくらいだ(娘に”Hey, you gotta speak English at home, mommy."とたしなめられる)。
夫との会話は特に多いわけではなく、普段は「今から帰る」「明日の見送り頼む」「風呂わかしといて」みたいな簡単なものを繰り返している。そのくらいだったら、私のなかにある定型文でなんとかまかなえる。
ところが最近、私のなかで「もっとちゃんと対話がしたい」という気持ちがふつふつと湧いているのだ。一緒に映画やアニメを観たらどこでどう感じたかを語り合いたいし、嬉しいことや嫌なことがあったらちゃんと報告したい。 ”How was your day?(今日どうだった?)” ”It was okay.(まあぼちぼち)”で終わる夫婦の会話って、ちょっとさみしいじゃないか。
10年以上一緒にいてわかってきたことだが、夫はディベートこそすれ、対話は苦手なようだ。日本語だろうと英語だろうと、あまり深い話をしたがらない。さみしい。もっといろいろ語り合いたいのに!
ただでさえ「対話めんど」と思っている夫と語り合うために、私はもう少し英語力をつけたいのである。自分の思考の奥深くを表現したり、その日の感情を言語化したりして、夫にもっと私という人間を知ってほしい。それは結局、家族全体がより深い会話をしていくことにもつながる。
私に必要な“英語力”って?
ここまで書いてみて、私は「家族との関係性を深めるため」に英語が勉強したいのだなあと思った。アメリカ人と結婚すること、子どもに英語で話しかけることを決めたとき、正直ここまで深く考えていなかった。よくよく考えれば言葉はコミュニケーションの中でも特に重要な部分であるし、人格形成や関係構築で大きな役割を持つ。正直なめてた。
私がほしい英語力の方向性を認識した結果、今TOEICの単語帳を引っ張り出してきてビジネス英語を覚えるのは違うことくらいはわかる。家族の会話がビジネスライクになっちまう。じゃあ、私が身につけるべき「英語力」ってなんだ?
もちろん、映画やドラマを観て英語をインプットしたり、単語を勉強したりすることは大事なんだと思う。一方で、やっぱり私自身が「なにを話したいのか」を、まず考えなきゃいけない。私は家族とどんな話がしたいのか。なにを伝えられたら嬉しくて、どんなことに一緒に怒ってあげたいのか。そういうものを考えて、ただひたすら英語でどう表現するのかを学んでいくしかない気がする。地道……。
とはいえ、子どもたちの成長は待ってはくれない。走りながら考えるしかない。子どもたちに「母ちゃんには日本語で言ってあげようね…」と気を遣わせない程度には、彼らの成長に食いついていきたい!まって!子どもたちの英語力!私を置いていかないで!!!
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