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「ラプンツェルになりたい」娘の髪をとかしながら、母は泣く。

娘の髪の毛が、憎い。

この6年間、七五三の直後に一度切っただけのロングヘアは、すでに娘の腰にまで届く勢いで成長を続けている。そして、私はそれを洗面所で、ダイニングテーブルで、風呂場で、親の仇でも討つかの形相でとかし続けている。

娘の髪の毛は細くて繊細で、すぐにリカちゃん人形のようにこんがらがってしまう。どれだけ丁寧にブラッシングしても、翌朝には後頭部に3羽はヒナが住めそうな鳥の巣が完成している。私はそれを、毎日毎日毎日毎日とかす。野生の暴れ馬の尻尾をとかす人がいたら、こんな感じなんだろうなあと想像しながら(本当にそんな人がいるのかは知らない)、右手で少量の束をつかみ、左手でシャッシャッとブラシを通す(通らない)。

「ねえ髪の毛、少し切らない?」

この3年の間、幾度となく娘に提案するも却下。この世の親子の会話のほとんどがそうであるように「言えば言うほど逆効果」というやつで、最近は「Haircut」という言葉だけで首を振るようになった。いかん。

今となっては、『塔の上のラプンツェル』を見せたことに後悔しかない。『一休さん』を見せながら育てるべきだったのだ。なぜ、この世の姫たちは、みんなあんなに髪の長いのか。ディズニーよ、次は坊主かベリーショートのプリンセスを頼む。


とはいえ、プリンセスばかりに非があるわけではない。元はと言えば、私が「髪の毛も彼女の身体なのだから、その決定権は彼女にあるべきだ」と言い出したことが元凶だと言える。

私は娘が生まれたときから「性教育やジェンダー教育はちゃんとしたい!」と息巻いており、特に「あなたの身体も人生もあなたのもの。だから自分で決めていいし、社会や相手に合わせなくていい」と伝えて続けてきた。

だから、娘の髪型だって、自分で決めていい。「男の子みたい」と言われようがベリーショートにしてもいいし、伸ばしたいなら伸ばせばいい。「もう切っちゃおうよ〜」と言う夫にも、もちろん娘自身にも、そう話した。

そして、娘は「ラプンツェルのように伸ばしたい」の気持ちそのままに、永遠に髪の毛を切るつもりがない少女となった。(ちなみに、ラプンツェルは最後にショートヘアになるが、そのときにはもう魔法の髪じゃなくなっているのでダメなんだそうだ……)

誰がその髪の毛を洗って、乾かして、とかすのか、なんて何も考えていなかった。ばかちん新米母め。過去の自分が恨めしい。


その後、息子が生まれた。赤ちゃんの頃は毛が全然生えていなくて、それこそ一休さんのような息子だったが、徐々に人並みに髪の毛が伸びるようになってきた頃。

前髪が目に入るようになってかゆそうだった息子を連れて、私は美容院に行った。たぶん、何も考えていなかったと思う。別に「男の子だから短く」なんて思っていたわけじゃない。男の子だって伸ばしたければ伸ばしていい、でも今は「伸ばしたい/切りたい」という意志もなくて、目に入ってかゆそうだから切ってあげようと思った。

散髪してスッキリとこむすびマンみたいになった息子はめちゃくちゃかわいかったのだが、やっぱりちょっとだけ自分のなかに矛盾を感じた。

娘が2歳のときは、伸びてきた髪の毛をちょんまげにして目に入らないようにしていたのに、息子はなぜ切ったのか。本人がわからなければいいのか?そこに深い意味はないと思っていても、やっぱり「男の子=髪が短い」「女の子=結べる」が自分のなかにあるのでは……?

まあ単純に「1人目の長髪メンテがかなり面倒なので、2人目は『伸ばしたい』と言うまでは切っちゃえ」というのが、かなりリアルだとは思う。ただでさえ、すでに我が家にはラプンツェルがおり、ドライヤーで夏の風呂上がりは汗だくだというのに、もうひとり増えたらと考えるだけで汗が出てくる。

でもでも。

やっぱり「娘は伸ばしてて、息子は切っている」という事実そのものが、息子にとって「自分は男の子だからずっと髪が短いのだ」と刷り込むことになるのではないか。だとすると、かなり強い意志を持っていない限り「伸ばしたい」とは言い出さないのではないか……。

そう思うと、やはり初心に還り、「あなたの身体のことだから、あなたが決めていいよ」という姿勢を取るしかない。息子ももうすぐ3歳で、そろそろ(というか、めちゃくちゃ)自分の意志が出てくる頃だ。よし、聞いてみよう。案外「前髪さっぱりしてえな…」と思っているかもしれん。

「ヘアカット行こうか?」

「ノー!!!!!!」

おそるおそる息子に聞いてみたら、まあ案の定、絶賛イヤイヤ期の2歳児は光の速さで却下してきた。わかっている。別に伸ばしたいわけでもないくせに、ただ親の「切ってほしい」という気持ちを巧みに察して正反対のことをしているに過ぎない。クソッ。散々「自分で決めていい」と言ってきた手前、ヘアカットを強要することもできずにいる。

娘の髪の毛は、今日も鳥の巣を抱えながら、腰に届く勢いで成長している。息子の髪の毛は、少々のクセをたずさえながら風になびくほどになってきた。夏が今からこわい。ドライヤーを見たくもない。ショートヘアのキャラが出ているアニメ求む。

まあ、それでも私は、今日も明日も夏の日も、娘と息子の長髪をとかすだろう。「あなたの身体は、髪の毛一本に至るまで、あなたのもの」というメッセージが、いつか彼らに届けばいいなあと思いながら。

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