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まだ「かんぱい」と、言えないで

「ぱい」

嬉しそうに牛乳の入ったコップを持ち上げる2歳児。私が乾杯するまでは、絶対に腕を降ろさない。グラスをコツンとをしたら満足そうな顔になり、ゴキュッゴキュッと喉を鳴らして一気に飲む。この小さな身体の一体どこに、こんなに牛乳が入るっていうんだろう。

1歳半を過ぎたあたりからできるようになった「ぱい(乾杯)」は、かれこれ半年以上は続いている娘のマイブームだ。乾杯すると周りの大人たちは花火でも打ち上がったかのように大喜びする。だから、娘は何度も何度もドヤ顔でコップを上げる。一度始まったら、その場にいる全員が乾杯し終わるまで、コップがテーブルにつくことはない。

以前は「ぱんぱーぁい!」と大きな声で言っていたのに、最近は渋い顔でほらよ、みたいな感じで「…ぱい」と言いながら、それでも律儀にコップを寄せてくる。すでに略そうとしてるのだ。まったく、今どきの若いもんは。


マイブームが始まったのは、たしか昨年のクリスマス頃と記憶している。なぜ覚えているかといえば、ちょうど義理の家族が住むサンフランシスコを訪れていたからだ。

義理の家族は、お酒が大好き。何かお祝い事があればシャンパンを開け、何もなくてもワインがあっという間に空になる。そのクリスマスでは義理の父が叔父さんにコニャックの飲み比べセット(20本ほどの小さなボトルに違う種類のコニャックが無記名で入っているもの)をプレゼントし、その場で飲み比べ大会が始まったりした。

多くの酔っぱらいがそうであるように、飲みながらどんどん声が大きくなっていく彼らは、お互いの話なんて実はたいして聞いちゃいない。全員が大声で何かを話し、話が通じているんだかいないんだかわからないけど、誰もがゴキゲンに笑い合うあの空間が、私は好きだ。自分が大して喋らなくても場が盛り上がり、あまり飲めない私までなんだか酔っ払ったような気分になる。

そんな嵐のような彼らのお喋りを止めることができた唯一のもの。それが「ぱんぱい」だった。

当時、乾杯を覚えたての娘は、コップを持つたびに「ぱんぱーぁあい!!!」と叫びながら人々に駆け寄っていく。人見知り真っ最中で、義理の家族になかなか慣れなかったくせに、乾杯のときだけは自分から笑顔でコップを持って走った。

「さすが、ウィルソン家の血を引いているなあ!」と、義父が嬉しそうに笑う。前回会ったときは立ち上がることすらできなかった孫が、コップ片手に走り寄ってくるのだ。義理の両親は毎回、大好きなお喋りをちゃんと止めて「KANPAI!!!」とグラスを傾けた。

カチン!とグラスが鳴る音。娘が何かこぼさないか、ヒヤヒヤする私。何度「ぱんぱい」を繰り返されても、嬉しそうな人たち。クリスマスのイルミネーションを背景に走り回る娘は、妖精みたいに見えた。

そういえば、私が初めて義理の両親の家に行ったのも、初めてブランデーを飲ませてもらったのも、娘ができたとサプライズで伝えたのも、全部クリスマスだった。私の脳内の、義理の家族との大好きなクリスマスの思い出フォルダに、妖精と「ぱんぱい」するみんなの姿が、しっかりと収められた。


空港での別れはいつだって、最高に楽しかった日々のあとに訪れる。

それぞれの自宅に戻っていく親戚たちを見送り、私たちもお祭りのあとみたいな寂しさを抱えて、サンフランシスコ空港に辿り着いた。過ぎた時間がなんだか夢だったような気がして、もう一度最初から繰り返せたらいいのになんて考えてしまう。

「大丈夫!またすぐに会えるからね!」

そう言いながら、義理の母がギュッと力強いハグをした。

実際、4月には親戚の結婚式があった。なーんだ、本当にすぐ会えるじゃないか。いつもなら早くても半年に1回しか会えない家族に4ヶ月後にまた会えるなんて、私たちからすれば「すぐ」だった。

また、すぐに会える。その具体的な日にちが細かく見えていればいるほど、寂しさは感じない。今回は涙も出ず、本当に「また来週ね」みたいな軽さで別れを告げた。

春の結婚式の場所は、ラスベガス。祝いの席を理由に盛大に酔っ払って、大声で喋るみんなの姿が、もうすでに見えるような気すらしていた。

ふふ、楽しみだな、楽しみだな。その頃には娘も2歳近くなっているし、「乾杯」だって上手に言えるようになっているかもしれないぞ。「ぱんぱい」もかわいかったけど、ちゃんと「かんぱい!」と言えるようになったら、義理の両親はもっと喜ぶだろう。大きくなったねえ、と娘をハグして離さないだろう。

ラスベガスでみんなに見せようね、そんな気持ちで娘のコップにコツンと、自分のグラスをぶつけた。


でも、それは実現しなかった。

この春、私たちは国外どころか家すら出ることが叶わなくなり、画面越しでしか義理の家族に会うことができなくなった。

日本の比ではないほどに、感染拡大のスピードが速かったアメリカ。通話するたびに「嫌なニュース」がないようにと、そればかり願っては顔を見て安堵する日々。

画面越しにみんなの元気な姿を見ることができるだけでも、本当にありがたいことだ。わかっている。でも。

娘がジャンプできるようになったとか、少しずつ喋るようになってきたとか、どれほどおいしそうによく食べるかとか。家族に見せたい娘の成長は、毎日たっくさんある。

逃すまいと必死に動画に撮って送るけれど、やっぱり本音を言えば、会って見てほしいし、抱っこして重みを知ってほしいし、うるさいくらいの声量を感じてほしい、と思ってしまう。

何かができるようになったり、大きくなったと実感するとき、嬉しい気持ちと一緒に「見せてあげたいな」と、海の向こうの大切な人たちを想う。

はやく「かんぱい」と言えるようになったらいい。そう思っていたはずなのに、彼らにゆっくりと成長を見せたいからもうちょっとだけ待ってくれないか、なんて理不尽に思ったりもする。

次がいつになるのか、誰にもわからない。だから、ちょっと不安で、知らないうちに娘の成長を逃してしまったと思ってほしくなくて、娘を今のまま保存しておく術を求めてスマホを構えている。


2歳になっても、娘はまだ「かんぱい」と言えない。冒頭で書いたとおり、むしろ「ぱい」と略そうとすらしてくる。でも、そのうち、きっと言えるようになってしまうね。

次に家族に会えるとき、娘はどれほど大きくなっているだろう。きっと、いろんなことができるようになっているだろう。でも、きっとこの子には、まだわからない。直接グラスを合わせる喜びの大きさは。ハグしながら笑い合う幸せの尊さは。

大声で笑い飲み物を注ぎ合う家族、その周りを乾杯してまわる娘。その光景を想像しながら、今日も娘のコップに牛乳を注ぐ。

「ぱい」

小さな手が、牛乳のなみなみと入ったコップを持ち上げる。ああ、いつの間に、こぼす不安もなく片手で持てるようになってしまったんだろう。ねえ、もう少しだけ待っていて。まだ「かんぱい」と、言えるようにならないで。

自分のグラスをコツンとぶつけながら、私は大好きな人たちと「乾杯できる距離」に行かれるその日を、今もずっとずっと待ち焦がれているのだ。



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