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現代の李徴を読む 森見登美彦『山月記』

忙しい先生のための作品紹介。第6弾は……

森見登美彦『山月記』(『【新釈】走れメロス 他四編』より 祥伝社 2007、角川文庫 2009)

対応する教材     『山月記』
原作・史実の忠実度  ★★★☆☆
読みやすさ      ★★★★☆
図・絵の多さ     ★☆☆☆☆
レベル        ★★★☆☆ 
ページ数       38

内容紹介

 李徴が現代の日本に生まれていたら、まさにこういった話になっていたでしょう。後世に名を残す物書きを目指す京都の大学生・斎藤が、一人あがき、狂い、身を滅ぼしていくさまを描いた作品です。中島敦の『山月記』では李徴についてはそのほとんどが彼本人の口から語られていますが、こちらでは主人公とその友人双方の視点から、斎藤が破滅の一途を辿ることになった理由やいきさつ、彼の人となりが非常に詳細に描かれています。そうして読者が彼の知人になったところで、原作に擬えたクライマックスが訪れるのです。最後は後日談という形で斎藤の物語が幕を閉じる、という構成になっています。

   本作は『【新釈】走れメロス 他四編』という、五篇が少しずつ接点を持つ短編集の第一話として収載されています。続く『走れメロス』『桜の森の満開の下』にも、『山月記』の斎藤が登場するので、ぜひ一冊通して読むことをおすすめします。

おすすめポイント

   森見版『山月記』は、原作とほぼ同じ筋書きで書かれていますが、徐々に虎に乗っ取られていく……という現実にはありえないファンタジー要素は排除されています。それでも、登場人物がいきいきと描かれており、物語の面白さは健在です。実際に明るみに出ていないだけで、こういった事例がどこかで起きているのでは? と思ってしまいます(物事にのめり込み尊大になるあまり、私も斎藤のようになりかねない……というような人もいるかもしれません)。崇高な精神に基づいて執筆活動にいそしんだ斎藤の姿勢には、尊敬の念を抱く一方で、彼の顛末には憐憫の情を抱かずにはいられません。斎藤という人物像を身近に感じられるからこそ、その結末への同情が増長していくのです。

   本作には、『山月記』特有の難解な言葉や言い回しがそのまま出てきます。「肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに炯々として」という表現は現代の書き言葉の中では少し浮いているようにも感じますが、引用であることがわかりやすい部分です。他にも「〇〇は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すにはあまりに短い」などの引用が数箇所あり、原作を読んだ後だと宝探しの感覚で読み進められることでしょう。

また、先に述べたように
・ファンタジー要素がないこと
・現代の物語であること
・主人公のバックグラウンドがよくわかること
から斉藤の気持ち・行動を理解することは比較的容易であると思います。

   斎藤はもちろん李徴ではありませんが、彼の物語を通して、山月記には描かれていない李徴の"空白の時間"を想像する手助けになれば、と思います。

授業で使うとしたら

 本作は、原作の中島版『山月記』の言葉遣いやストーリーを参考にしながらも、森見が独自に書き直しているものです。そのため場面によって忠実度に差があります。例えば斎藤(李徴)が天狗(虎)になる場面などは、ほぼ原作通りですが、作品の肝となる、斎藤(李徴)が独白する場面は細かい違いも多く一概には比較できません。もちろん森見版を独立した作品として楽しむことは十分可能なのですが、中島版を読むと別の楽しみ方ができるため、レベルは3にしました。

  中島版でキーワードとなる「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」は、森見版では「万人を軽蔑する中身のない傲慢」などと言い換えられています。また、森見版では家族への言及や遺作の依頼といった内容が削られています。その代わり、斎藤が文章を書く際に思索にふけり、人間らしさを失っていく場面が丁寧に書かれています。授業で李徴が変身するに至った経緯を考える際に、森見版を補助教材として使うことができるかもしれません。

   授業で本格的に取り上げるのは難しいかもしれませんが、作品自体は非常に軽くて読みやすいので、生徒におすすめしやすい作品になっています。

試し読みはこちらから→https://www.kadokawa.co.jp/product/321504000099/

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