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忘れたい記憶を捨ててもいいと許してもらった日。

わたしには、だれにも話さないと決めた記憶がある。話さないと決めたけど、時々その時の感情がフラッシュバックして苦しいときがあった。忘れたいけど、忘れられない。最近、そんな記憶をやっと手放すことができた。

忘れるんじゃなくて、捨てることだったんだ

わたしの忘れたい記憶には、相手がいる。なので、その記憶を乗り越えるのは、その相手と、そして自分を許すことだと思っていた。

だから、当時のことを振り返られるだけの心の傷がいえてから、何度もその時に戻って、考えた。そして、相手の立場にもたってみた。

たくさん辛い作業を一人で繰り返した。

すると、最初は自分の痛みしか考えられなかったけど、だんだんそこから距離を置いて、相手の気持ちも考えられるようになった。 

そうしたら、もっと苦しくなった。相手を責めていた気持ちがそのまま自分に向かってきたからだ。立ち上がれないくらいボロボロになった。結局、もっと相手を恨んだ。許せなかった。自分を許すことなんてもちろんできなかった。

だから、全部その記憶をなかったものにしたかった。忘れてしまえと、心に命令をした。でも、そう思うほどに記憶がシャープになる。

なので、記憶にふたをした。それでも ぼこぼこ 私の意思に関係なく、記憶がフラッシュバックしてくる。 

だめだ 私はこの記憶と一生付き合っていかなくては行けないのかと 気持ちが暗くなった。

そんな時、友人のすすめでアロマの1日講座に参加した。それは、

「節分の日に、体も心もお掃除しましょう」

というテーマだった。そこで、講師の先生が、

「節分は、旧暦の大みそかのようなもの。なので、新年(立春)を迎える前に、いらないものを捨ててしまいましょう。本や服などの物だけでなく、いらない過去や記憶もすべて捨ててしまいましょう。」

いらない過去や記憶を捨ててもいいの?と、驚いた。
記憶や過去は乗り越えるもので、捨てられるものだと思っていなかった。

そっか、本や服もいらなくなったら捨てる。いらない記憶も捨てていいんだ。

なんか、すごくストンとおちた。

そのやり方は、捨てたい過去や記憶を紙に書く。そして、その紙を捨てる。焼いてもいい。

ずっと、苦しめられてきた記憶。文字にするなんて、怖くてしばらく鉛筆を持つ手がとまった。

しかし、捨てると決めてその記憶を紙に書いたとたん、心がすっと軽くなった。

そうだ。忘れられないなら、捨ててしまえ。

記憶を捨てる許しをもらって、私はこの記憶を捨てることを決めた。

たったそれだけ。

そして、20年近く付き合ってきた苦しい気持ちから、解放された。

きっと、私にはこの記憶を手放す準備はできていたのだと思う。ただ、そのきっかけが欲しかっただけだった。

苦しんだ私、お疲れ様。私の傷をずっと受け止め続けた相手さん、お疲れ様。もう、おしまい。

          

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