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秘密基地のすゝめ

わたしの秘密基地は台湾文学館だ

街の中心部にありながら閑静な場所

地下図書室で待つ禁帯出本らに会いに行く

わたしにとっての台湾文学館を3行でまとめてみた。せっかくなので、わたしが気に入っているこの秘密基地について、少し紹介してみることにする。

台湾文学館の正式名称は、國立台灣文學館(国立台湾文学館)という。

この台湾文学館の建物は国定古跡にも指定されており、歴史的価値も非常に高い。日本時代の1916年築、日本近代建築の父・辰野金吾(東京駅を設計)に師事した森山松之助による設計。なるほど、建物正面の設計が東京駅と近い面持ちをしている。

台南州庁として建設され、戦時は台南大空襲で損壊したものの、戦後中華民国接収後に修繕され台南市政府の庁舎として復活した。その後、1997年には台南市政府が現在の新庁舎へ移転することとなり、1997年から2002年まで国立成功大学への委託により大規模修復が行われた。この修復事業では学術的な研究をもとに日本時代の姿への修復がなされ、その結果、築100年を超えた現在、国立台湾文学館と文化資産保存研究センターが入居する台湾文化の要となる建物へと進化を遂げている。

台南の長く暑い夏、涼しくて静かな場所を求めるなら、台湾文学館はおすすめスポットだ。日本時代の近代建築巡りとしては、台湾文学館の北向かいにある旧台南合同庁舎(つい最近まで消防署として活躍していた)、南東の旧台南警察署(台南美術館1号館)、南西500mほどに位置する旧台南地方法院(こちらも国定史跡で森山松之助による設計)も合わせて巡るとおもしろい。これらの近代建築を外から眺めればこの街が日本時代に近代化による発展を遂げたことがわかる一方、台湾文学館で文学を覗けば時代に翻弄されつつも逞しく生きた人々の内面を垣間見ることができる。

地下図書室は入口のカウンターで身分証を預けるか個人情報を登録することで利用できる。図書資料は閲覧のみで貸出不可だが日本語書籍もある。特に日本語に翻訳された作品は豊富に揃っているのでおすすめだ。なお、月曜日は台湾文学館を含め多くの公共施設の休館日にあたるのでご注意を。


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2020年、台湾文学館の常設展が全面リニューアルされた。
実はリニューアル前の常設展の内容は語り口が非常に無機質で(展示は台湾華語・英語・日本語の三ヶ国語併記)、取り上げている内容や文学者にも大きな偏りが見られた。また、台湾文学とは何かということ自体をまだ模索している印象があった。わたしはこの展示に物足りなさを感じるとともに、台湾文学自体にアイデンティティが確立されていく過程の”ゆらぎ”のようなものも感じとっていた。

リニューアル後の常設展『文学の力ー私たちの台湾を書く』は2030年まで約10年間展示される予定ということだが、そのビフォーアフターぶりには目を見張るものがあった。時期がきたと悟った台湾文学の蕾がにわかに花開いてきたような心地さえした。

特に、台湾文学を「私たちのもの」「すでに日常のどこにでも見られる身近なもの」として自信たっぷりに語る冒頭の展示内容が印象的だった。また、下関条約によって台湾が清朝から日本に割譲された1895年から戦後日本の敗戦により中華民国へ接収されるまでの半世紀の時代について「日據時代(日本植民地時代)」や「日治時代(日本統治時代)」などイデオロギーが反映されがちだった表現は、近年研究者の間で定着しつつある「日本時代(※日本語同)」に統一されていた。このように内容や取り上げる文学者も以前の偏りが是正され適切に配置されているように見えたし、台湾が近年その強みとする「多様性」も展示全体を通して伝わってきた。

この新しい常設展では、おそらく最新の文学研究の成果だと思われる台湾文学の新しい一面も学ぶことができた。19世紀後半にイギリスの宣教師が持ち込んだ「白話字」や1920年代に日本や中国に留学した知識人らによる「新文学」についての展示は興味深々に眺めさせてもらった。

オンラインでバーチャル展示も公開されているので、ぜひ展示を参観いただきたい。スマートフォンアプリはiOS及びAndoroidに対応している。

バーチャル展示では、時空を超えて展示を参観できるという大きなメリットがある。過去の展示も時間をたやすく飛び越えて参観できるため、これが継続的に蓄積されていけば、将来はバーチャル展示自体が台湾文学の参考資料になるかもしれない。

わたしが過去に参観した展示からも、見どころを一つ紹介しよう。
『百年の旅びとー佐藤春夫1920台湾旅行文学展』では、日本の文学者・佐藤春夫が台湾へ旅立つこととなった「旅の原点」として身内の不倫関係等に苦悩していたことが書かれているのだが、その中の展示資料に「離婚と結婚を同時に報告する谷崎潤一郎・千代・佐藤春夫の連名挨拶状」がある。離婚が珍しくなくなった現代の常識に照らし合わせて考えても、かなり驚かされる事象だ。時系列としては旅を終え日本へ帰国した後のものだが、とても興味深く貴重な資料だった。ちなみに、このような貴重な資料の数々は佐藤春夫記念館からの提供ということで、日本の文学館との提携も活発な様子が伺える。


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ここで、近年の台湾文学界で一際注目される新鋭作家、吳明益(ごめいえき)と、彼と固い信頼関係を築いた翻訳者、天野健太郎を紹介したい。吳明益は台湾の若い読者から今最も支持されている作家で、その作品は既に十数か国語に翻訳出版されており、日本を含め海外でもメキメキと知名度を上げている実力の持ち主である。そんな吳明益の作品を『歩道橋の魔術師』(原題:天橋上的魔術師)を皮切りに翻訳によって日本に知らしめたのが天野健太郎だ。彼は翻訳者であると同時に研究者でもあり、台湾文学を含む華文文学(香港作品も翻訳している)に対し並々ならぬ情熱を注ぐ類まれな人物だった。彼は病のため2018年に急逝するまで華文文学の翻訳出版に全力を尽くした*1。

吳明益は追悼文で天野のことを「最高の翻訳者」であり、「信頼に値する翻訳者」であると綴った*2。今後日本で華文文学や台湾文学がそのジャンルを確立していくならば、天野健太郎もまた優れた翻訳者として再評価されることとなるだろう。台湾文学の花盛りはまだまだこれからだ。

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吉田秋生の漫画『BANANA FISH』で主人公のアッシュはストリート・キッズのボスとして明日の生死をも知らない下町生活を送っているが、ひとりになりたい時にはニューヨーク公共図書館に行っていた。彼の秘密基地がニューヨーク公共図書館なら、わたしの秘密基地は台湾文学館ということになる。

秘密基地の地下図書室に潜るとき、アッシュの気持ちに少し近づいたような心地がする。なぜなら、あの空間に一度潜ることで気持ちを浮上(リセット)させることができるからだ。実際、2020年以降のわたしたちはそれ以前の生活に比べ、明日の生死に漠然とした不安を抱くようになった。秘密基地のような憩いの空間をもつことは、そうした不安や突発的な心のさざ波をなだめるのに有効だ。もっと言えば、気持ちを浮上させ前向きにもっていくことは、生の時間を肯定することにも繋がる。空間の力を借りる秘密基地のすゝめである。


<参照記事>
*1 OPEN BOOK 台書在日本5 譯者》日文譯者與他/她的台灣作家們
*2 太台本屋 tai-tai books 呉明益さんから、天野健太郎さんに贈られた言葉


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