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差別の心

実は私はハーフです。日本人の父と韓国人の母との間に生まれたハーフです。このことを知っているのは、家族と親友2人のみです。顔が日本人離れしているということも無く、「ハーフだよね?」と聞かれることも滅多に無いので、自分からは言いません。
…今、不特定多数の方に言ってしまいましたが。

自分が日本人では無いと知ったのは小学六年生の頃でしょうか。酔っ払った父が、会話の途中で「お前ハーフだもんなぁ!」と口走ったことがきっかけに、私の中で"日本人じゃない説"が浮上しました。

自分のことを日本人だと思っていたし、少なからず日本人であることに誇りを持っていました。幼いながらに、自分に違う国の血が混ざっていることに不快感を感じてしまったのです。焦った私は、『私って日本人だよね?』と聞いてしまいました。韓国人である、母に。

母の顔を見て、聞いてすぐに『やっちまった』と思いました。私は焦ると自分のことで精一杯になってしまう。一呼吸して冷静になれば良かったのに、どうしていつも誰かを傷つけてしまうんだ、と後悔しました。

思い返せば小さい頃、『絶対外国の人と結婚するのは嫌!日本人と結婚するから!』と私が言った時、母は少しだけ悲しい表情をしていたし、大学生になった姉が急に韓国に行ってきたかと思えば、理由を聞くと「なんとなく」。ヒントは至る所にあったのです。

母は、私がもう少し大きくなってから言おうとしていたみたいです。私が違う聞き方をできたら良かったのか、分かりませんが。事実私は日韓ハーフで、割と最近まで日本人だと思っていて、少し残念だったのです。

差別は良くないって思うけれど、やっぱり私は、小学校のクラスで障害を持っている、暴れまわっている子のことを差別していたと思うんです。心のどこかで、関わりたくないって、思っていたはずなんです。みんな違ってみんないいはずなのに、『みんなと違って可哀想』なんて、同情していたはずなんです。

それと同じように、もし私が日本人だったとして、お付き合いした人が「実は韓国人なんだよね」って言ってきたとしたら、私は差別してしまうのでは無いかと、思ったんです。

ここに居るんです。差別してしまう人間が。
じゃあ絶対私以外にも一定数は居るのです。

「そんな奴はこっちから願い下げだ。相手にするな。」と父は言うけれど、それは父だからそう考えられるだけで。きっと私の父は素敵な人なんでしょう。だから私の母の夫は父なんでしょう。私はその子供だけれど、それほど素敵な人ではないので、やっぱり考えてしまいます。

私は誰かに『私、日本人じゃない。』と言うのが怖いです。私だったら、そんなこと言われたらしばらくは受け入れられないと思うから。私は、日本人で居たいと思ってしまったんです。

でも、私はすごく恵まれています。だって、ずっと一緒に居たいと思える友人が居るから。その子たちに伝えたら全然あっさりしていて、「そうなんだ!」で終わったんです。今までと変わらず遊んで、笑いあって、隣に居てくれたんです。すごく、嬉しかった。

きっと私が考えすぎなだけかもしれないし、友人が考えて無さすぎなのかもしれないし、私の周りには良い人しか居ないのかもしれない。多分全部そう。

受け入れてくれたから、そんなに考えすぎる事でもないなって思えました。混ざっている血を大切にしたいと思えました。最初はこの血が少し嫌だったけれど、母は嫌ではなかったんです。大好きなのは変わらなかったんです。

こんな私でごめんなさい。
嘘ばかりでごめんなさい。
それでも少しずつ、フラットに見れるように。
自分のことを怖がらずに言えるように。
優しい私を大きくしていこうと思います。





ここまで私の自分語りを読んで下さった皆さんにだけ言うんですけど。
実はですね、『私、日本人じゃない』んです!

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