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自己犠牲とアンパンマン

『子どもは、親や教員の言うようにはならない。するようになるんだよ。』


大学に精神科医が講義をしに来ている。私はこの精神科医が話す時間が、どんな時よりも好きだ。この時のためになら、他のつまらない講義すら受けることができる。

症例を挙げながら精神保健の実際を語る彼は、大の猫好きというチャームポイントを持っている。いい歳したおっさんが、猫好きだと?白衣を翻しながらでかい図体を揺らして歩くあのおっさんが、家に帰れば(何匹もの)純白の猫を抱きかかえているなんて。ギャップ萌えで死にそうだ。

猫好きのおっさんが言うには、子どもは親や教員の言うようにはならないらしい。
例えば、国語の教員が「本を読め」といったとして、当の本人が全く本を読んでいなければ、生徒の本を読む気は無くなるかもね、ということだ。もしここで教員が熱心に読書をしていたとすれば、生徒は「なんだなんだ」と、興味をもって教員の傍に集まるかもしれないし、読書に興味を持つきっかけにもなりうる。

例えば、養護教諭がどれだけ命の大切さを謳っても、当の本人が自らの命や周りの命を大切にしていなければ、生徒の命の尊さを理解する能力は遥か彼方へバイバイキーン、ということだ。

つまり、大切なのは“すること”であって、“言うこと”ではない。らしい。


ところで、この世には自己犠牲の精神をもって生きる種があることをご存じだろうか。「アナタノタメニ」またの名を「ナンデモイイヨ」というが、例を挙げるとするなら、私である。

こんな世の中に産み落とすなんてかわいそうなことを、わが子にしたくない。ただ今居る不幸な思いをする子どもが減ればいい。だから私は、今までの経験を活かしながら、多くの人間が考えるより善い方向に少しでも持っていって死ぬ。と決めている。そう、まだ見ぬアナタノタメニ

特に成し遂げたいことや、愛と勇気も持ち合わせていないので、休みがあれば基本はなにもせずずっと家にいる。まぁ誘われれば出かけようかな。だって、ナンデモイイから。

せっかくこの世に生まれたからには、自分の利点は使っておきたい。だからアナタノタメニ養護教諭として働くのであって、別にナンデモイイから、私自身に利点がなくなったら、潔く消えてもいい。そう思っている。

誰がどう見ても、命を大切にできていない。そんな人が養護教諭になろうとしているのは、猫好き(の、おっさん)からするとかなりの迷惑行為だろう。

『リストカットをしたんだね』
「うん、安心するから。保健の先生もしてたし。」
『なんだって!悪影響だ、すぐに保健室の新しい顔をつくらねば!』
『ああ、猫のために早く帰りたいのに!』
ということになりかねない。

結局何が言いたいのかというと、最近あんぱんにハマっているのでアンパンマンの味が気になって夜しか眠れない。命を大切にできない私が養護教諭になったところでアナタノタメニはなれないし、それが確定したことで私の利点は教員では発揮することができない。つまり、もういつでもバイバイキーン、できるのだ。

ただ、猫好きの話は興味深いし、あんぱんは変わらず美味い。奨学金は自分で払っておきたいから、とりあえずこのまま過ごそうか。というおもんない結論にたどり着いた。

そう考えると、アンパンマンは自己犠牲の精神をもって人助け(パン助け?)しているのに、長い間生き続けるモチベーションがあるのは凄いな。やっぱり愛と勇気が友達だから、ナンデモイイにはならないのだろうか?

数年後の私はどこへ行くのだろう。

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