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『世界報道写真展2021』〜浮かび上がる人びとの苦悩、社会に問う写真家たち〜

2021年7月31日(土)に、世界報道写真財団と朝日新聞社が主催する「世界報道写真展2021」(場所:東京都写真美術館、会期:2021年6月12日~8月9日)を観た。本展は、1956年から始まった報道写真の展覧会。開催前年に撮影された写真を主な審査対象とした「世界報道写真コンテスト」の入賞作品が展示される。今回は、130の国と地域から、4,315人の写真家によって、74,470点の応募があり、「現代社会の問題」「環境」「一般ニュース」「自然」「ポートレート」「スポットニュース」「スポーツ」「長期取材」の8部門で、約160点が入賞、28カ国45人の写真家が受賞した。

大賞に選ばれたマッズ・ニッセン(デンマーク、ポリティケン/パノス・ピクチャーズ)の写真は、ブラジル・サンパウロの介護施設で、ビニール製の感染防止カーテンを介して抱擁する2人の女性を写している。人に直接触れることが特別になってしまった2020年を象徴するような場面だ。

本展は、新型コロナウイルス感染症を題材とした写真が複数見られた。感染拡大を防ぐために設けられた制限の中、友人や恋人に会おうと苦心する人々を写したローランド・シュミット(スイス)の組写真も印象的だ。入賞作品とは別に、朝日新聞社が2020年の日本のニュースをまとめたダイジェスト映像も展示されているが、2月以降、ほとんどが新型コロナに関するものだった。展示を通して、改めて2020年は新型コロナに頭を悩ませた1年だったと感じた。

一方、私が最も心を動かされたのは、新型コロナとは関係なく撮影された2枚の写真だ。なぜならば、国によって異なる社会規範やそれに苦しむ人を視覚的に提示することで、社会に対して大きな問題提起をしていると感じたからだ。

1枚目は、ナディア・ブザン氏(ベラルーシ)による写真。ベラルーシ・ミンクスの拘置所の外で夫パバル氏を待つ妻オルガ氏を写している。パバル氏は政治活動家。欧米で「ヨーロッパ最後の独裁者」と評されるアレクサンドル・ルカシェンコ氏の6期連続大統領就任を阻止しようとしたが、ルカシェンコ氏の弾圧により勾留された。写真が撮影された日、パバル氏は釈放される見込みだったが、オルガ氏が2時間待っても、彼が釈放されることはなかった。その時の彼女の物憂げな様子を、補色関係であるアイボリーとネイビーを中心とし、低彩度の色で構成した画面を利用して、印象的に表現している。大きな権力に対して、自由に発言することが許されない状況の悲痛さが伝わってくる。

2枚目は、タチアナ・ニキティナ氏(ロシア)による写真。ロシア・モスクワで自閉スペクトラム症を抱える娘と、彼女に飛行機玩具の発射を教える父を写している。自閉スペクトラム症は、社会的コミュニケーションに持続的な欠陥を及ぼす、興味が限定的になる、行動が反復的になるといった症状を引き起こす障害で、個々のニーズに合った療育・教育的支援が求められる。しかし、ロシアでは、自閉症という概念が新しく、行動障害を持つ人に対して否定的な態度を取る人が多い。そのため、自閉症の子どもを持つ親は、支援プログラムを見つけるのが困難なのだ。写真は、都市から離れた広場で撮影されており、障害を抱える娘と、大きなコミュニティの中で生活するマジョリティとの精神的距離の大きさが伝わってくる。また、父と娘が手を取り合って飛ばした、薄暗い空を上昇する真っ赤な飛行機玩具からは、生きづらい社会の中であっても2人が希望を持っていることが伺える。

ベラルーシの女性の悲しみ、ロシアの親子の苦悩は共に、世界の特定の場所において人がつくった価値観や社会規範によって生じたものだ。彼らが他国で生活をしていたならば、状態は同じでも、状況は異なっていただろう。取り上げた2枚の報道写真は、それに対する疑問を視覚的に投げかけていないだろうか。

スマートフォンで撮影した写真を、アプリで手軽に加工できるようになって現代では、写真が字義通り「真を写している」ものだと捉えるのは難しい。本展で展示された写真も、必ずしも事実に基づいていると断定することはできない。しかし、報道写真の価値は、その内容の真偽によって決まるものではないと、本展を通して理解した。なぜならば、優れた報道写真は、出来事を記録するだけでなく、観るものに視覚的に訴えかけることで問題提起をすることができるからだ。色、構図、そして写真そのものの大きさを綿密に練り上げ、問題を劇的に表すことで、観る人の心を揺さぶる。報道写真家たちは、写真を通して、観る人に社会が抱える問題を投げかけるのだ。

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