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戦友(駄文)

好きな先輩バンドマンがいる。
一緒に呑んでると最後は喧嘩みたいになる人だけれど、彼の弱さやひたむきさ、根性、人情、そういう全部が憎めなくて好きだ。
彼のことは便宜上、先輩と呼んでいるけれど、あまりそういったタイプの尊敬の念はない。何というか、こう、剥き出しで言い合える仲。
つまり戦友という言葉が合うのだ。

戦友は他にもいる。どんどん増えてく。
ライブハウスで全力を出して、まだまだ先を見ていると自然とそういう切磋琢磨してくれる人達が集まってくれる。

もちろん最悪な演奏をしてしまう時もあるし、後悔のせいで飲んだくれたり炉端にへたり込んだり、そういうこともあるのだけど、戦友という響きの中にはそういうどうしようもなく惨めな姿も共有できる心強さがある。

良い言葉だなって今日もあらためて感じた。


誕生日の時に貰った本の中に、昔の日本人は虫の音を“声”と表現して、自然の中にあるあらゆるものの言葉を解していたんだということが書いてあった。
近頃の右翼的な日本すごーいみたいな話とは別で、純粋に、この土地には良い人々が暮らしてたんだろうなと思う。
オノマトペがこんなにたくさんあって、虫の羽音や生き物の鳴き声にも音をはめ込んで共有しあえる感性が遺伝子に刻まれてるんだろうなと思う。

祭囃子が聞こえて、頭で拍をとる。
どこか鈍臭くて洗練さがない土着のリズム、そういうのが日本的ひいては地球的なものなんだよなぁと思う。
雅楽の始まりがカウントを取るんじゃなくてファ〜って始まるのとか、相撲の取り組みが呼吸を合わせるのとか、そういうのって原初的でいいなと感じる。

同じように良いなと感じる人々はきっと“戦友”なのだと思う。各々の戦いを経て、強く逞しく可憐に育っていく。

こうやって、Don't trust over 30.
の意味がどんどん腑に落ちてくる。

年齢を重ねるごとに自由になってく。
18歳までに集めた偏見のコレクションを一個一個ぶち壊していく感じ。

まだまだ高いところへ向かえる気がする。

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