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分かり合えない躁鬱人⑩

こんばんは。まなみんです。

今回は分かり合えない躁鬱人シリーズ第10弾!


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今回のテキストはこちらの前半部分↓↓↓


さて先を進みましょう。次はテキストの5行目です。
「もともと和を大切にする人なので、つい自分が我慢してしまうのです。我慢して自分が窮屈になるのがいけません。そういう環境とは相性が悪いのです。我慢して何かをするという性分ではありません」

なるほど。「我慢して何かをするという性分ではありません」か……。

確かにそうなのかもな……。


躁鬱人は奔放ですが、それ以前にとても柔らかいです。
さらに平和を重んじますから、そのためだったら平気で自分を変形させてしまうところがあります。
完全に無意識にやっているので、自分が変形していることにも気づけません。
だから、自分が奔放な人なのか、人に合わせてしまって言いたいことも言えない人なのかわからなくなってしまってます。

ここ読んで泣きたくなりました。

躁鬱病になって初めの頃、

こんな風に自分が分からなくなってしまって暴れたことがあります。

本当に辛かった。

一体今まで自分はどうやって生きてきたのか分からなくなって泣き叫んでいたことを嫌でも思い返してしまいます。


いや、奔放なのはいつも人前だけで、実は自分の意見など全くない透明な人間なんだと思っているところがあります。
このように自分の内側に注意が向かっているときは、鬱状態に傾きそうな時の合図です。

そうです。こう考えてしまっているとき鬱のどん底に居ました。


なぜなら躁状態の時は一切、自分を顧みることはないからです。
自分とは何か?なんてことは一つも考えません。
自分は自分であって、世界で唯一の存在であると、完全に認識してます。
だから一人で物思いに耽るなんてことがありません。
「今日はあの店に行って、本を買って、あの店に行って、あれを買いたい。そして、今、あれが気になっているから研究したいので、図書館に行って、関連した本をいくつも読んで、その横にある水辺で水着を持って行って泳いで、あ、バーベキューセットを持って、お昼ご飯を食べてもいいかもしれない。それなら、友だちも呼んだ方がいいな、あの人とあの人に電話をかけよう、いや、今かけよう」
なんて風に考えてます。
自分に向かう視点がゼロです。
本当に全く自分を振り返ったりしないんです。
自分の中に何か直す部分があるなんてことは思いもつきません

うんうん、本当にそうなんだよなぁ……。

さっきまでの鬱のときの記述とは全く異なっていて、非躁鬱人には理解し難いとは思いますが、こうなんです。

躁状態のときは「自分ってこんなに面白い!なんて最高なんだろう!」って思ってます。

動き回りすぎても、「今はなんでもできる!」と思って、その異常さに気づけません。


 鬱状態の時は、
「僕はこういうところがダメだ、しかもそれはずっと小さい頃から感じてた、小さい時からずっと鬱みたいな感情があった、表向きは明るい顔をしてはいたけど、実は違って、内心はずっと苦しかった。もしかしたら両親からの影響があるのかもしれない。両親のせいかもしれない」
 とずっと言っているようです。

あはは。図星です。私は先輩にこんなことずっと話してました……。


しかし、鬱が明けて、妻が、
「小さい時からずっと辛かったみたいに言ってたけど、今もそう感じるの?」
 と聞くと、
「えっ? 全然だよ。僕は小さい時から、自分で漫画も描いてたし、ゲームも作ってたし、部屋の中に家まで作っててね。つまり、いまやっている仕事の源流はそこにあるんだよね。むしろ、小さい時の自分に感謝だね。両親のせい? いやいやそれはないでしょ。彼らは彼らだし、僕とは関係ないし、むしろ父親のおかげで音楽に興味を持ったし、母親のおかげで芸術などに関心を持ったと思うのよ。家には芹沢銈介のカレンダーや柳宗悦が立て直した北海道民芸家具なんかが揃っててね、裕福な家じゃなかったけど、調度品や食器や着る服なんかはとても上品なものばかりで、そうやって感性を磨いてくれたんだと思う。感謝しかないよ感謝」
 と答えるようです。

もう、全くもって同じです。鬱じゃないときはこんなことをペラペラ話せます。

いやー、あのときの全否定は何だったんだよ!と、非躁鬱人には思われてもしょうがないです。


差が激しすぎます。余談ですが、躁鬱人は、鬱状態の時に、必ず「こうなったのは両親のせいだ」と言います。
僕も毎回そう感じてしまいますし、何度か両親にも直接言ってしまったことがあります。
もうこれは躁鬱人の鬱時のお家芸みたいなものです。
両親にそんなことを伝えても、相手は悲しむし、こちらも怒りを爆発させるだけで、何一ついいことがないのでやめておきましょう。

すみません。気を付けます。

幸いにもまだ直接言ったことはありませんが……。

鬱のときはずっと思ってます、「なんで私なんか生んだんだ!」と。


元気になった途端、われわれ躁鬱人は、
「あー死なないでよかった!生きててよかった!そして、この世に生まれてきてよかった!産んでくれてありがとう!」
 とこれまた必ずなってしまうからです。涙ながらに「産んでくれてありがとう」なんてことを両親に伝えることができるくらいになります。

はい、そうですね。

今はどっちも何言ってんだコイツ。となりますが、そのコイツとは、私のことですからね……。


「親が…」という言葉が出てきたら、あなたは鬱ってことです。
その合図以外にほとんど意味がありません。
私も躁鬱人になりたい、と思って、そうではない非躁鬱人が躁鬱人になることはできません。
そうやって生まれてきたわけです。
遺伝子が何か関わっているのではないでしょうか。
僕は詳しく知りませんが、そう感じますし、どうやら父方の祖父、曽祖父も、躁鬱人だったのではないかという話をここ最近、祖父の知り合いから聞かされ、妙に納得したものです。
受け継いだものなんです。

私の父も躁鬱人です。姉もです。

笑えますね。どんだけ躁鬱人の血が強いんだよ。とツッコミたいです。

まあ、当の本人なので笑えませんが。


それなら、あとはただ、正確に躁鬱人の特徴を理解し、技術を会得し、伸ばしていけばいいんです。
そして、躁鬱人は確実に発達していきます。
必ず成長します。
しかし、これまで躁鬱人という区分はされてきておらず、それは完全な病気とみなされてしまっており、治療をして他の非躁鬱人たちと同じような生活ができるようになればいいと考えられてきたため、躁鬱人専用の教育が一切なされてきていません。
だから躁鬱人は「自分は躁鬱病という一生治らない病気を抱えている」と考える以外に方法を知らなかったわけです。

うん。そうだよな。

そもそも、躁鬱人を非躁鬱人に近づけようとする社会がおかしいのであって、私たちは何も悪くないです。

生まれながらにしての体質なのにそれをどうにかしようなんて無茶です。


しかし、それは間違いです。
ちゃんと躁鬱人専用の学習を続けていけば、自分なりの生活を楽しく作り上げることができます。
と考えると、嬉しくないですか? 
とにかく躁鬱人にとって、楽しく、愉快で、心が軽くなって、体も軽くなるようなことはそれだけでただの栄養です。
それがたとえ、一切の稼ぎにならないとしても、なんの価値もないと周りの人から思われていようとも、心地よくなるだけで、栄養です。
それがすぐわかります。
「あ、これ自分に合ってる」みたいなことがすぐ体感できます。
そういうことはどんどん分け隔てなく、あらゆる角度から体に取り込んでいきましょう。
楽しむこと自体がそのまま学習になります。
こんな愉快なことがあるでしょうか。

すてきだなぁ。そうなって欲しいなぁ。



長くなってしまったので、今回はここまで。



私は双極性障害を研究したいと考えています。


だからたくさんの躁鬱人と繋がりたい。
そして、サークルを立ち上げました。


今現在、加入者が6人です。少しづつ人数が増えています。ありがとうございます。

しかし、さらにたくさんの人と気軽にお話ししたい。


本当は無料で招待したいところですが、お金を払って下さる方と平等にしたいので申し訳ありませんが100円お支払い下さい。


質問などあればコメント下さい。

サークルでやりたいことも募集中です。

よろしくお願いいたします。





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