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母親になるということ

子供の頃から漠然と、大人になる=家庭を築いて母になることだと思っていた。将来の夢に「お母さんになる」と書いたことは一度もなかったし、具体的なイメージや夢を描いていたわけではないけれど、なんとなくそんなふうに思っていた。それはきっと私だけではなくて、多くの子がなんとなく考えていることのような気がする。
だけど、20歳を過ぎた頃から、急に大人になることがいよいよ現実味を帯びてきて、いつしか結婚や出産は「まだ先のこと」となるべく考えることを遠ざけるようになった。

全てが変わった2020年3月

社会人になって1年が経とうとしていた2020年3月、緊急事態宣言が出ようとしていたその頃に妊娠がわかった。仕事でずっと目標にしてきた出張が中止になり、楽しみにしていた誕生日の京都旅行もなくなり、大きな絶望とか悲しみみたいな深い闇に入ることはなかったものの、なんとなく抱えていた不安や恐怖心と、終わりの見えない窮屈さが、ふつふつと私の心を圧迫していた、そんな時だった。

新しい家族ができる喜びとか、今後の不安とか、もちろんそんな感情もあったはずだけど、一番強く思ったのは「母になるんだ」ということ。誕生日の旅行がひとつなくなったくらいで大泣きしていたくらい、自分の楽しさを最優先で生きてきた私にとってだいぶ大きな出来事だったはずなのに、伝えた瞬間からなんの心配も迷いもなく喜ぶ母と、ちょっと心配そうな夫を横目に、私はただただ事実としてすっと受け入れられたことは、今でも少し不思議に思う。

週5日は飲みに行っていた生活から一変。仕事はリモートに切り替わり、仲の良い友人にも会うことなく、もちろんお酒を飲むこともなくなり、出産予定日の秋までただただ自宅と実家を往復して過ごした。外部からの刺激がほとんどない世界は、これまで生き急いで常に走り続けてきた私にとっては不思議で落ち着かない感覚で、早く終わりたいような、終わりたくないような、立ち止まる新鮮さや心の平穏が心地良いような、悪いようなで、ぐちゃぐちゃな感情を日々夫にぶつけていた。(後にこの時間はわたしにとってとても大切だったと気づくのだけど、この時は日々の感情があちこちに行ったり来たりしていた)

自由な母と、祖父母と過ごした子供時代

物心がついた頃、私は母と祖父母と一緒に、少し田舎にある一軒家に住んでいた。父親はいなかったし、そのことを疑問に思ったこともなかった。母は自由で人懐こくて、そしてとても強い人だった。フルタイムで働きながらも定時にきっちり上がり、週に2〜3回は習い事へ。美容にも熱心で、ヨガのインストラクターの資格を取ったり、表参道の芸能人も通うようなエステにもよく行っていた。私もたまについて行って、アニヴェルセルのカフェでケーキを食べて、kiddy landで文房具を買ってもらうのが楽しみだった。

そんな母のもとで過ごした子供時代は、ゲームもお菓子も一切買ってもらえないことなんてどうでもよかったけど、とにかく「勉強しなさい」が嫌だった。
成績が悪かったらその翌日には塾に入れられ(結果としてその塾は楽しかったからよかったのだけど)、テストの順位が悪かった日は口を聞いてもらえなかった。高校で授業中に寝てることを三者面談で指摘された日の帰り道は、10mほど距離をあけて歩き、電車は隣の車両に乗って帰ったのは今思い返してもだいぶ面白い。母に怒られたり意見が対立した時、母が目の前にいるときは反抗的な強い気持ちでいられるのに、そのあと急にやるせない気持ちになって一人で暗いリビングで泣くのがお決まりのパターンだった。そして、夜中にトイレに起きてきたおばあちゃんが2時間くらいなぐさめてくれる。今思えば、おばあちゃんがなぐさめて、共感して、肯定してくれるあの時間がなかったら、私は押しつぶされて、すごくひねくれた子になっていたかもしれない。

私にとっての母とは

いつどんな時でも味方をしてくれるのは、母ではなく祖母だった。けれど、何があってもブレない母の存在は大きかった。今思えば、「守る」より「育てる」の意思が母には強くあったように思う。厳しい門限などで物理的に守られることはあっても、勉強や部活が辛いと嘆いても一度も逃げ道を教えたり同情したりしない母は、いつも怖くて気を遣う存在だったけれど、そのおかげでずいぶん強く育てられた。

何より、教科書やドラマで見るような母親像とはまるで違う自由な母のもとで育った私は、子育てに対する固定概念が全くないまま大人になった。そして、「母にできることは私にもできる」という昔からの謎の強い自信のおかげで、比較的いろんなことに恐れずに挑戦することができている。
子育てや出産に対する不安がそこまで大きく膨れ上がらなかったのも、子育てと自分の自由を当たり前のように両立させ、伸び伸びと自分を貫いて生きている母を見て育ったことが大きく影響しているのかもしれない。

子育て3年生の私と娘

そんな私も母になって、3年と半年ほどが経った。少しずつ身の回りのことも自分でできるようになり、わがままや冗談も言うようになって、悲しんでいる時は頭を撫でててなぐさめてくれる3歳の娘との生活は、一筋縄ではいかない。

今まで大好きだったりんごジュースが突然嫌いになったり、駅の改札前で「ラーメン屋さんでご飯が食べたい!」と大泣きしてリュックを投げて寝っ転がって暴れたり。さっきまでケラケラと楽しそうに笑っていたと思ったら、ブロックが思い通りにはまらずに大声で「できなーい!!!」と叫びながら眉間にシワを寄せて大声で走り寄ってくる。

まだまだ子供な私は、台風の日の雲の流れのように感情が移り変わっていく娘に対して常に大人でいられるはずもなく、わがままを言って大泣きしている娘を横目に平然と夕飯の支度をするときもあるし、叱ることもあきらめて一緒にアイスを食べて心を落ち着かせたりすることもある。何かにイライラしている娘に対して、優しくなだめたり、正しく叱ったり、そんな大人なお母さんになろうと思ったこともあったけど、いざその場にいるとそんなにうまくいかない。でも、同じくらいの目線で、一緒に怒ったり悲しんだり、その疲労を共有したり、そんな親子関係もありだなと、最近思い始めた。

母親になることは、子供をひとり守り育てる勇気も覚悟も必要なことかもしれない。けれど、私の母ような圧倒的に強くたくましい母の背中を魅せる母もいれば、私と娘のような平等でお互い素直に感情を伝え合うような母でいることもできる。

子育てに正解がないのはもちろん、何が正しいのかなんてその時はわかるはずもなく、いつか答え合わせをする時が来たとしても、その時に正解がわかるとも限らない。けれど日々成長していく娘や、移り変わっていく母としての自分の気持ちに試行錯誤しながら互いに成長していくのが、「母親になること」なのかもしれない。

子供でわがままな母と、もっと子供でわがままな娘のとのこの時間は、そう長くはないのかも。そう思うと、嵐のような毎日も急に尊いものだと感じられる。


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