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秋のはじまり

残暑が厳しかった今年も、秋分の日を境に急に涼しくなった。 最近の夏は暑くて終わりが待ち遠しいのに、 なぜかこの時期になると夏が終わる寂しさを感じて、お祭りや花火の写真を見返すのが恒例。 今年は夏祭りが9月になったり、ビールフェスが大雨で一週間延期になったりで、つい最近まで夏を強く感じるイベントが多かったからか、より一層呆気なく終わる感じがして寂しい。 でも、秋は一年で一番大好きな季節。 少し涼しくなって、長袖を着られるようになると、寂しい気持ちはすぐに忘れて、心地の良い

    • キリトリ線

      高校時代に戻りたいとか、 人生の夏休みだった大学時代楽しかったなとか、 ふと昔を懐かしく思うことがある。 だけど、それは単に切り取り方の問題で 実はどの数年を切り取っても 同じように尊い日々だったことに気づく。 例えば、社会にでて1年目のとき 満員電車を乗り継いで、人混みをくぐり抜けて 毎日はやめに出勤していた頃。 毎日当たり前のように 同期や先輩とお昼ご飯を食べて、 時間に縛られず心ゆくまで働き、 気の赴くままに、居酒屋に行ってお酒を飲む。 出張に行けば毎回新しい発

      • 複合的要因

        ものごとは全て、複合的にいろんな要因が絡み合っているなと思う。 たとえばいま、ミルで挽いたコーヒー豆をドリップして飲みながらnoteを書いているのは、今日の朝はやく起きて洗濯や家事を終えたからで、 今朝はやく起きられたのは、昨日はやく眠りについたからで、 昨日はやく眠れたのは、おとといの夜中に家のまえの道路で夜間工事をしていて、ちょっと寝不足だったから。 それに加えて、そのときの心の状態とか、体調とか、娘の機嫌とか、天気とか、そんなものにも左右されるから難しい。 だ

        • いまの自分って?

          「これまでの25年、私もみんなも色々あったとおもうけど、いまこうしてここにいる」 そのフレーズが、わたしが生まれた1年後にデビューしたアーティストの25周年ライブで聞いてから、じんわり頭の中に残っている。(細かい部分は違うかもしれないけど、ニュアンスはこんなかんじだったはず) 出会ってきた人にかけられた言葉や、 見たり触れたりした景色やモノだったり、 そういった経験が繋がって、複雑に絡み合った結果がいまの自分だ。 この25年を振り返ると、泣き虫な幼少期を過ごし、学生時代を

        秋のはじまり

          「必要十分」という考え方

          少し前にある人が言っていた「必要十分」という表現。いちにちに5回は思い出すくらいだから、きっと今のわたしにとってすごく重要なキーワードなんだと思う。 今から約2,000年前に成立されたと言われるヨガの根本経典「ヨーガ・スートラ」には、人生を豊かにする古代賢者たちのさまざまな教えが記されている。その中のひとつにSantosha(知足)という教えがあり、私が通うヨガスクールでは、目の前の世界を見ることができる「角膜」の価値を例に、この教えを説明されることが多い。 「もし目が見

          「必要十分」という考え方

          母親になるということ

          子供の頃から漠然と、大人になる=家庭を築いて母になることだと思っていた。将来の夢に「お母さんになる」と書いたことは一度もなかったし、具体的なイメージや夢を描いていたわけではないけれど、なんとなくそんなふうに思っていた。それはきっと私だけではなくて、多くの子がなんとなく考えていることのような気がする。 だけど、20歳を過ぎた頃から、急に大人になることがいよいよ現実味を帯びてきて、いつしか結婚や出産は「まだ先のこと」となるべく考えることを遠ざけるようになった。 全てが変わった2

          母親になるということ

          小さくはじめてみる?

          「誰かに伝わる文章を書きたい」 そう思ったことは何度もあるけど、それっぽく書くって簡単そうでなかなか難しい。自分らしく、そのままの私を文章で表現するっていうのはもっと難しい。 あるとき、「note書こうよ」と提案してくれた人がいた。その人は、メルマガ文章を書く仕事をやり始めたり、文章を書くチャンスが舞い込んだ時に飛び込む人だった。 なるほど、こうやって始めるのか。 いつもなら「どうせ書いてもな…」の気持ちが勝ってしまうけど、壮大な文章を書こうとせずにちょっと書いてみるくらい

          小さくはじめてみる?