「空想」を考える : 我思う、故に我あり④
「心の構造」という動物脳に備わる機能や、自分自身の行動を認知するシステムとしてシンプルな意志認知回路が脳に備わり、それが意識という集合体になっているのではないかという話をしてきた。では、この意識は「空想」とどう関連するのか。(小野堅太郎)
自分の行動を指示する「意志」なるものが、「指示」とは独立して並列に発生しているため、あくまでも「意志認知回路での追認」であるとの話をしてきた。この回路により、行動発現後の結果から「自己反省」できるようになり、学習の繰り返しで運動プログラムを洗練することが可能になる。これは暗記勉強にも有効で、自分でテストを行い、思い出せなかった場合に「自己反省」することで学習行動を促進させれる。要するに、ヒトは「意志認知回路」によって、学習の効率化が図られるようになった。ヒトが持つ思考、理性、知性は、この仕組みで説明できる。
このような繰り返しトレーニングにおける「意志認知回路」の活用は、「自意識」や「自我」を認知させることになる。自分が体を動かしている、自分が言葉をしゃべっている、となってくる。本能からくる情動変化も追認されるので、自分はこう感じる、となってくる。このように自我が芽生えてくると、他者を「自分とは異なる者」と感じ、他者にも自分と同じ「心の構造」が存在するのではないかと考え、コミュニケーションの中で意志認知回路をループ(自己反省→学習→自己反省)させて「心の構造」が修正されると説明できる。
心の形成(他者にも心があると感じること)によりヒトは社会的な動物として群れを成し集団で行動することで、個人よりも大きな力を得ることになる。このような集団化はヒト以外の生物を圧倒できた。社会を形成すれば、集団内のルールがないと統制が取れないので、倫理や道徳が生まれてきたのかもしれない。
では、想像、空想、妄想、発想、創発といった個人の脳内世界の展開に対して「意志認知回路」はどう関わってくるのか。想像や空想は積極的に脳内で記憶を参照して世界をシムレーションすることである。意志認知回路(意識回路)とは独立して進化獲得された新規の脳機能であると考えるには、あまりにもヒトの歴史は短すぎる。となると、意識回路と同一、もしくは派生したものであるとの前提を一旦置いてみる。
これまで話してきた意識回路は、動物脳からの出力を受け取って、エラーを受け取ったら動物脳の中身を書き換える仕組みとなっている。この意識回路は「自我」の発生を説明できるが、自我が完成するには思春期を越える必要がある。しかし、空想は子供でも明確に実行可能である。故に、空想能力は自我の前身ではないかとの仮説を立ててみる。ならば、意識回路と同じような学習効率を上げるような利点があるはずである。
子供に読み聞かせる絵本は、教訓に溢れている。子供はキリギリスから怠惰の結末を知り、子豚の末っ子から知恵の大切さを知り、赤ずきんから人を疑うことを知り、カチカチ山のタヌキから嘘の罪を知る。完全なる空想世界の物語から子供は空想し、恐れ、社会的行動規範を植え付けられる。このような社会倫理の学習は、実際の社会経験から学ぶにはかなり時間がかかる。故に、空想能力は仮想体験から動物脳を書き換える利点を有している。これは大人でも、本やドラマなどの物語から同じことをやっている。しかし、この説明では空想という出力に対して意識回路が働いていると見なされる。つまり、当初設定した前提は間違いで、空想そのものは意識回路とは独立しており、その代わり動物脳の中に既に組み込まれていた可能性がある。ならば、動物達も空想しているということになる。
当初、空想や想像はヒト固有のものとして挙げていた。しかし、動物脳の心の構造には「記憶の想起」が含まれる。空想や想像は、想起された事象を時系列に配列することである。当初予想されたほど「空想」は新しい機能ではなく、動物も有していると思われる。AとBという異なる記憶(経験)を連結させることを「連合学習」というが、多くの動物で観察されている。これが複雑化して、A〜Zまでの記憶を繋げれば、空想と呼べるモノになる。
空想は仮想世界と言ってきたが、実際のところ、我々の知覚もまた仮想である。我々の身体に備わる内的・外的受容器は、ある一定範囲の情報受容しか行えない。さらには、神経回路における伝導速度やシナプス伝達における物理的な時間制限により、実際の時間軸より遅れて知覚している。つまり、我々ヒトが体験している世界は脳内で作られた仮想世界でしかない。目の前のコップが存在するかと問われたら、視覚や触覚を使ったとしても存在するという完全なる証明にならない。
話をまとめてみる。動物は限られた内的・外的情報を脳で統合し、仮想世界を作りあげている。その世界は情動や記憶によって「心の構造」を生成し、記憶の連結(想像)を参照しながら、自動的に感情認知と行動発現を行なっている。ヒトは「心の構造」から入力される「意識回路」を使って第三者視点を持ち込むことでエラー修復(自省)して効率的な学習を達成している。というのが、私の考えである。
想像を狭義に捉えて「記憶参照による予知」と考えると、「この曲がり角からはよく子供が飛び出してくるので、気をつけて曲がろう」というような思考が想像であるとなる。このような想像が動物でも行っているだろうということに疑問はない。
空想が「心の構造」の一部であれば、空想自体も意識回路からの修正を受ける。多くのエピソード記憶を繋ぎ合わせ、自分の知識をごた混ぜにしたのが、小説であり、映画であり、漫画といった創作物語であろう。読者や観客はそれを追体験し、楽しみ、哀しみ、「心の構造」を変化させる。一見、ヒトにのみ備わると思われた「空想」は、動物達の持つ空想よりも複雑なだけであり、その複雑さは意識回路と作業記憶領域の拡大によるものと見做せる。
意識を作り出す意識回路の働きがようやく見えてきた。生理学では意識を「随意」というが、もう一つある。「覚醒」である。同義というよりは、覚醒の中に意識が含まれる。なので「睡眠」や「昏睡」に意識は含まれない。睡眠といえば「夢」をみる。
夢とは何なのか。次回は夢の話をします。
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