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ゆっくり歩くことで見えるもの

今年の夏は暑かったせいか、あまり出歩かなかった。そもそも、家で仕事をしているので通勤というものがなく、植物に水をやりに出る以外は表に一歩も出ないこともある。

先日、空がどんよりと曇ってそれほど暑くなかったし、郵便局に行く用事があったので、久々に午前中に10分くらいの距離をのんびり歩いてみることにした。

いつもは散歩やジョギングに出るにしても日が落ちて薄暗くなってからだったので、明るい日中にゆっくりと歩いてみると、いろんなものが目に入った。そういえば朝顔の季節だった。ピンクや白やヘブンリーブル―やら、色とりどりの花が咲いていた。夏も終わりになろうという頃に、忘れていたものを目の当たりにしたような気がした。紅色しかないと思っていたサルスベリにも白いのがあるんだとか、初めて気づくこともあった。

ふと、十数年も前に、インドであるインド人に言われたことを思い出した。ある地点から別の地点まで、タクシーで行けばあっという間にたどり着く。オートリキシャで行くと、そのあいだにもう少しいろんなものが見える。でも歩いていけば、時間はかかるけど、たくさんのものが見えるよ。そう言われた。焦っていた時期だった。

そしてまた、相変わらず私は焦っている。これまでさんざん無駄にしてきた、だんだん残り少なくなっていく人生の時間をこれ以上無駄にするまいと、ムダに四苦八苦したりしている。できるだけ効率的に毎日を過ごそうとしながらも、何かこぼれ落ちているものがあるような気がしている。

色とりどりの朝顔には、車で移動していたらおそらく気がつかないんだろう。忙しいの「忙」という字が心をなくすと書くように、しばらく忙しく生きてきて、何か大切なものを失くしかけていたのかもしれないとも思う。

面倒な脳みその持ち主は、多少忙しい方が余計なことを考えなくてすむのだけれど、たまにはゆっくり歩いてみるのもいいと思った。

発達障害者はそもそもがスローランナーと言われる。私も、子どものころは家族から「トロい子」だと思われていた。家の外では、居るのか居ないのかわからない大人しい子。もしくは得体の知れない人。今では誰にもそう思われなくなった(得体の知れない人とは相変わらず思われているようだけれど)。そういえば診断を受けたときに過剰適応だと言われたのをすっかり忘れていた。無駄にあがいてきたのかもしれない。あるいは、今の何にもつながっていない、無駄なことばかりやってきたのかもしれない。でも、ここにたどり着くまでに通ってきた、無駄に思えたこれまでの人生の中にも、「無用の用」がたくさんあったのだろうと思う。

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