果たしてBARは人を変えることができるのか

結論から言うと、変わるのは表面的な部分だけ、一時的な部分だけで、本質的には逃避でしかないのではないかということ。
だから、基本、人は何も変わらない。1mmも変わらないし、変わりたくない。
じゃあ何をする場か、日々の問題から逃避することを可能にする場だ。
今日、何か会社や組織でいやなことがあった。
そして、そのいやなことを持ったまま、家に帰っても、家ではそれを癒せない。
そして、BARの止まり木に行く。
しかし、そこでは、嫌なことを忘れて、バーテンダーをいじって遊ぶか、お酒を飲んで忘れるか、バーテンダーに楽しい話をしてもらって忘れるか、隣の人に声をかけて自己承認を得るために話すかだ。
だから、とりあえずその日はアルコールの効果を使って、問題は忘れることができた。しかし、自分は何も変わっていないから、また次も同じようにして、BARに行く。こうやってお金を使っていく。
お金持ちの人はまた違った使い方をする。
ありあまるほどのお金を使って、自己承認を得るためにBARに通う。
たくさん自分は使って、このBARを繁盛させてやってるんだ。バーテンダーを育てることで、自己承認を得て満足をする。
結局は、自己承認のためでしかない。
本当の変容にはならない。
本当のBARは、自分の問題を指摘してくれるバーテンダーがいるBARだ。しかし、たいていのお客さんはそういうBARは嫌がる。固いBARだと。だから、飲んで騒いでシャンパン開けてのBARが儲かって続くわけだ。

かつで僕がたまに通っていたBARがそうだった。
極めてオーセンティックなBARだった。Tシャツだめ。肘ついちゃだめ。短パンだめ、横向きになって話したらだめ。
そして、エゴ丸出しのお客さんは叱られた。僕の知り合いも自己承認丸出しだったので見抜かれて、指摘された。
そのBARには彼は二度といけなかった。
本当に変容したい人は、そういうBARに叱られても行くものだ。
ちまたに、たくさんBARがあるけれど、残念ながら、バーテンダーをいじって遊んで飲ませて飲んで、BARが儲けてという図式がほとんどだ。
それでBARの経営は成り立っている。

人間性BAR
儲からないBARだ。









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