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猫から学ぶ『しあわせセンサー』

最近、猫を見ていて気がつきました。

すごく幸せそうな表情をするんです、身体を撫でているときに。
だから私は、思わずつぶやきます。

「なぜそんなに、幸せそうな顔をしてくれるの?」

返事がなくとも、もう、そのうっとり具合からキミたちの心情はわかるのよ。私はただ、撫でているだけなのにね。

それだけなのに、キミたちに喜びを与えられているんだなってわかったら、こっちまで幸せな気分になるんだよね。しかも、ただ撫でているだけなのにさ。ん?言い過ぎ?

私は、勝手に家に連れ込んだキミたちの猫生を強制的に変えてしまったから、申し訳なさも感じてる。

安堵の表情を見るのは嬉しいけど、少し複雑な気分にもなるんだ。一緒に暮らし始めて4年も経つのに、ね。

そんな私だけど、他にも気がついたの。

ツヤツヤでほのかに温かいその感触を手のひらでゆっくりじっくり確かめていると、私までリラックスしてくるの。
もしかして、相乗効果ってヤツかな?

触れ合うことで、安心してリラックスできる。でも、誰でもいいってわけじゃない。
少なくとも、私とキミたちの間には相乗効果が生じてるみたいだし、関係性は悪くないだろうと思うんだ。


ヒトは五感を持っていてね。

視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の5つなんだけど、情報を受けとるときに最もよく使うのが『視覚』だって言われてるの。

私は洋服が大好きなんだけど、服を選ぶときって最初に色やデザインが目につくのね。その後触ってみたり、サイズ確認のためにボトムスは必ず試着する。
まあ、最初に選んだ服は間違いなく買ってたから、ある程度直感で決めてるんだろうけど。

ちょっと前までの私は、そうやって購入した服を身に付けることで、幸せを感じてた。

インテリア用品もちょこちょこ買い足して、好きな色に囲まれて満足してたの。

元々家にいるのが好きなのもあるけど、お気に入りのものが部屋に揃っているんだから、この上ない幸せだよ。

でもね、最近思うんだ。
私の物欲は、視覚に囚われすぎてたんだなって。

今ね、丁寧に料理してそれを味わったり、自然の中にぼんやりと佇んで形ないものを感じたり。

ベランダの窓を開けて、鳥や虫の鳴き声を聞きながら本を読んだり、文を書いたりしている時が本当に幸せでね。

あれ?そういえば最近、ラジオをつける時間が減ってる。別所さんの声、しばらく聞いてないや。

えっ、聞きたい?

じゃあ、来週は朝から別所さんの声聞こうね。


兎にも角にも。

洋服やインテリアには興味がなくなってきたの。
まあ、散々買ってきたから買う必要がないのもあるし、今の満足は一時的なものかもしれないけどさ。
それにしても、変化を感じてるの。

そう、私は変化してる。

最近よく本を買うようになって、物欲の対象が変わっただけじゃん、って思ったりもするんだけど、本は人が書いてるし、人との出会いでもあるからね。

バイトする以外はほとんど家にいるから限られた人としか会ってないけど、本を通じて出会いの機会がもたらされてる。

エッセイ本を読むときなんか、その人の言葉遣いや考え方から、どんな出立かを想像するのも楽しいんだ。

こないだ「文學界」と「ユリイカ」っていう月刊誌を初めて買ったの。

一冊の本でも数十人の執筆者の作品で構成されてるから、たくさんの出会いがあったよ。


話題がそれるけど、私毛深くってね。
キミたちには敵わないほどだけれども。

小学生の頃、ある一部の男子が私の足を見て笑ってたんだよね、毛深いって。色白の肌に黒い毛だから目立っちゃってね、でも、スカートは好きだから履いてたんだ。隠したりはしなかった。

誰に迷惑かけるわけでもないし正々堂々としてりゃよかったんだけど、笑われるのはやっぱり嫌だったね。
せめて、毛の色が目立たなければいいのにって思ったりして。

小学生の私はありのままの自分を認められなくて、そのまま成長して、脱毛に行くようになった。視覚や周りの反応に囚われすぎたが故の結果だね。

男子に笑われなかったら、そこまで毛深さを気にしなかったかって?
それはわからないけど、男子のせいではないよ。

自分で自分を愛せていなかっただけ。

脱毛やエステの宣伝効果もあって『毛深いのが良くない』イメージに持っていかれがちだけど、決してそんなことはなくて、自分が気にしなければ関係ないんだよね。

昔付き合ってたヒトにまでチクチクするって、毛深いのをからかわれたことがあるけど、何でそんな人と付き合ってたんだろう(笑)。
視覚は使えてても、心が盲目状態だったんだね。


撫でられてうっとりしたり、私のあぐらの中でくつろぐキミたちの表情を見てると、触覚や嗅覚が幸せセンサーなんだろうなって思う。お互いに毛繕いしてるときも、いい表情してるもの。

ヒトは視覚に囚われがちだから、自分なりの見た目の良さを追求したくて、必死になったり満足したりする。

究極の話、視覚がなければ過剰な肩の力も無くなるだろうけど、それまで使ってた視覚が無くなることで生じるフラストレーションで、事態は一瞬、さらに悪化するだろうな。

でも、視覚の代わりに他の感が発達するようになって、例えばキミたちのように髭が生えて、障害物を感知してくれるセンサーになるかもしれない。

テレパシーだって使えるようになるかも。

それはそれで、それなりにヒトはうまくやっていけるんだろうけど、私が言いたいのはね。

昔よりは自分を愛せるようになっていて。

そして、キミたちと一緒に暮らすようになってから今までとは違う幸せの感じ方が芽生えてきてるってこと。

だから、キミたちに感謝を伝えたいの。

お尻をこっちに向けてるけどさ。ポンポンしてほしいのもわかってるけどさ。

いつも一緒にいてくれて、どうもありがとう。

これからもお互い、居心地の良い時間をいっぱい過ごしましょうね。

(ポンポン。なでなで。)

今日もツヤツヤですよ。

「にあゃー」


ほんと、幸せそうな顔をしてくれるね。


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