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結果の平等と機会の平等を分けて考えるべきだ!(東大の合格者、女子が過去最多の21%「到達点でない」朝日新聞3月10日)


森さんの軽口が、大騒動を引き起こしたのは記憶に新しいところだが、あえて、男女差別の問題をここで取り上げたい。今回の記事にある福田東大副学長の発言は、男女差別的に問題はないのだろうか。

入試担当理事の福田裕穂副学長は10日の会見で「いろいろな人が学びの場にいることが大切。現状が到達点であってはいけない。30%、40%となるように努力をしたい」と話した。

東大の合格者の男女の比率を学内の努力で変えていこうというのだ。それも、女子の合格比率を現状の2倍まで。以前、医学部の男女の合格基準を変えて、男女比を操作していた問題は、大きな問題になったのに、今回の発言は問題ではないのだろうか。まさに、記事の中には、女子の合格比率を高めるために、努力をしていくとあるのだ。操作を上手くやりますよという文脈にとっても良いと思うが、どうだろう。まあ、誰もそんなことは思わないと思うが、そう思っても良いような発言だ。

男女差別の問題とは、機会の不平等の問題なのだ。大学入試において、男女の受験機会の不平等を解消することが重要なことで、結果の問題ではない。ましてや大学受験ともなれば、受験生の意志が大きいはずだ。東大を受ける、京大を受ける、早慶を受ける、という受験生の意志があるのだから、受験するか、しないかは、個人の自由だ。それを受験比率も合格比率も大学側が高めていくというのは、如何なものだろうか。

受験機会が、社会的な風習や文化の類で、つまり、無言の圧力で歪められているというのなら、それを是正するように働きかければ良いのだ。男女差別について日本は遅れているというが、本当にそうだろうか。結果の平等と機会の平等を分けて考えるべきだし、文化的な構造も考慮して考えるべきではないか。

男女の本質的差別とは、果たして何だろうか。フランスの言語学者のピエール・ギローが、「言語と性」で論じたように、言葉の中に男女差別的な構造があるのだ。早々軽々に差別の問題は解消しないように思うが、どうだろうか。

【教育記事から教育を考える】
2021年3月12日(金) VOL.699
作者:中土井鉄信
(教育コンサルタント・合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ代表)


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