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流れるように文章を描けたら良いのに

最近思う。想いのままに言葉が溢れてきて、流れるように文章を描けたら、どんなに楽しいだろうと。

“書く”のではない。“描く”のだ。まるで絵を描くように文を描きたい。絵を描くとき、絵の具、色鉛筆、デッサンなど多彩な表現方法があるように、文章も心の内をカラフルに描いて表現したい。

でも流れるように描くと、分かりやすい文章にはならないというジレンマ。

文章を書くのは好き。得意ではないけれど。

編集という仕事上「あなたは文章のプロなんだから」と先輩に言われたこともあるが、間違った文章を書いてしまうこともしばしば。

あと、私は手書きの文章も苦手。修正が出来ないから。いや、出来るけど一文を消したい時、手書きでは大掛かりになる。昔の作家さんって本当にすごいと思う。目指すは、えんぴつで書いても流れるようにきれいな文章を描けるように、文章に迷いすぎずに描けたらと思う。

それでも文章は好きだし、今後はさらにライターという今よりも文章に特化した仕事をしていきたい。

文章って描くと癖になる。

文章は、発想力さえあれば自分の個性をいくらでも生み出すものになる。

例えば、あるテーマで作文を与えられたとしよう。

自分と全く同じ一字一句違わない文章を描く人は他に誰もいないだろう。

同じものを見ていても、人によって選ぶ言葉が違う。

そう考えると面白い。だから良いのだ。

“表現”活動においてはどれも当てはまると思うが、自分色に染められるのが良い。表現活動、いわゆるクリエイターといえば、イラストレーター、映像作家などいろいろである。

私は元々クリエイティブ職に興味を持っていたが、書くのが決して得意でなく、本もそんなに読まない私は、なぜ出版社やライターといった“文章”に特化したものにこだわっているのだろうとふと考えた。

一番想いをわかりやすく表現できるのが文章ではないか、と思う。

イラストを見て、きっとこの柔らかな絵を描く人は優しそうだなとか、映画を観て、もしかしたらこのストーリーは映画監督の幼少期のことを言いたかったのか?とか推測することはできる。もちろんそれもとても楽しいし、私もできるならその分野も挑戦したいと思う。

でも、ちょっと恥ずかしいけれど、自分自身の想いをはっきり伝えられる文章は表現活動のなかで、一番その人自身が滲み出るような気がしている。

でも私は、ちょっと恥ずかしいぐらいが人間味があって、好きだ。


今日はいつもと違うテイストで文章を投稿してみた。

これまでは文章というと、導入があって、アイキャッチ画像を入れて、3つの構成に分けて、ときっちりとしていた。それはそれで言いたいことがはっきり伝わるから好き。

でも今日は、まさにタイトル通り流れるように文章を描きたかった。

今までnoteを投稿するのにすごく時間がかかった。まだ未熟な赤子を育てるように可愛がって、成長させて、一人前の文章になったという段階で投稿していたけど、今日の文章はまさに流れるように出てきた言葉を描いてみた。

もしかしたら私も見返したら何を言っているのかよくわからないかもしれない。辻褄合わない文章もあるかもしれない。でもたまには流れるように言葉をアウトプットするのも良いだろう。


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