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近況のき

一人暮らしを始めて、生活はすごく丁寧になったし、時間も有効に使える様になったし、すごく気が楽で良いのだけど、なぜかとてつもなく気が急いている。

早く何かを成し遂げなければならないと、私の気を急かす見えない存在がいる。

それが何なのか全くわからなくて、落ち着かなくて、何かをしていないと気が済まないので、手持ち無沙汰になるとひたすら家の掃除をしている。掃除をしながら次にやることとか、やらなきゃいけないことを考える。

今までずっと持っていなかったテレビのチャンネル権を手にしたので、リアルタイム限定ではあるけれど、見たいテレビ番組が観られることが嬉しい。逆に見たくない番組は見なくて良いことも嬉しい。
朝の情報(ときどきバラエティ)番組を片耳で聞きながら仕事に行く支度が出来て、ニュースのインプットをわざわざネットでしなくて良いので、色んなトピックが吸収できるなと思ったり。
ただテレビに出ているタレントはどれを見てもほぼ同じ。雇用機会が均等なんて言葉は嘘だよな〜と思う。もちろん実力主義の世界なことは承知の上で言ってる。

劇団でダンスを教える様になって一年くらいするけど、自分は尽く教えるという行為が向いてないと思う。というか単純に下手。
他人が理解できる様に言語化する思考回路を、脳がいつのまにか要らないと判断して、半分くらい筋肉にしちゃったのかもしれない。

教えるだけでなく、教わるのも下手だったりする。
言葉でバーーーっと言われても、理解はできるが上手く落とし込めなくて、取り敢えずやってみせてくださいませんか…となる。よくある職人の「見て学べぇ!」を地で生きている。見て学ぶのが一番早いし、スッと理解して実行できる。
ダンスをやってきた癖かもしれない。自分が踊る時は目からインプットして身体で出力してるから。そういえば私形態模写めちゃめちゃ得意だわ🤔

だからすぐ「見て学べぇ!」って言いたくなる。言わないけど。
視覚情報を頑張って言語化する作業で、言おうとしたこと半分くらい忘れてるから、稽古終わってから「あれ言うの忘れてたなあ…🙄」が10っこくらい出てくる。誠にぴえん。

料理と食材の買い物が好きなので、ほとんど自炊生活をしている。自分が食べたいものを、自分の好きなタイミングで、自分が食べたい量作れば良いことが楽で楽しい。
食材の買い物は、いかに安くて得に買い物するかを考えながらスーパーをうろうろするのが楽しい。効率とかは考えない。近所のスーパーで一番「安くて得で欲しいものが全部ある」を兼ね備えてるのは、今のところ西友だと思う。レタス1玉99円で売ってた。
あとファミリーパックの肉を買って、1食分に分ける作業も楽しい。全部目分量でやってるんだけど、4食分かなーって思ってたパックから5食分取れたときちょっと嬉しい。ただその日使おうと思ったやつを解凍すんの忘れてたとき、その日1日テンション下がる。

自分って本当に箱入り娘で温室育ちだなあって思う。なんか多分結果的にしなくても良いけど、した方が良かった経験をしないで生きてきてしまったんだと思う。実際の経験が無いから、全部他のところから引っ張ってきた引用で、外側だけは真似することは出来るけど、その中身が伴わないから薄っぺらいものしか出力できない。

きっと端から見たらそうでもないのかもしれないけど、それはまだボロが出てないっていう、ただそれだけだと思う。
他人よりインプット量は多い(と思ってる)から、引き出しが多いだけで、そこにきっとリアリティーは無い。だから物語のなかでドラマが描けないんだと思う。ギミックは死ぬほど得意なのに、いつも評価されないのはそういうところもあるよなぁ。

しらんけど。

たまに「よっ!元気?最近どうしてんの?飯行かね?」って、旧友のSNSに気軽に飛ばしたい衝動に駆られる。
「向こうは私のこと覚えてるだろうか……」という思考に秒速でなるので、そんなことは絶対にしないけど。

ダンス部時代の尊敬していた友人が、まだダンスをやっていることを知って本当に嬉しい。

ダンス部時代は常に溺れてる感覚で、身体の痛みと自分が踊りたかった“ダンス”とのギャップに引き裂かれながら、毎日をどうやり過ごすかを考えていたな。
振付と衣装デザインの能力はずば抜けていたけど、基礎力と筋力と持久力が圧倒的に低くて、大怪我も沢山してたし、まじまじのド下手くそだった。

肉離れとか、腰やったときとかの見学期間で、だいぶダンスを見る目は養われたから、今でもそれは大いに役立ってる。その期間に解剖学の本を読んだりしてたな、そういえば。
だから今でも他人の踊り方を即座に分析しながら見る癖がついてる。これは今の私にとってはめちゃめちゃ良いことだと思う。

ダンス部時代に感じてた“ダンス”に対してのギャップは、身体表現の面白さにまだ気づいていなかったことで生まれてたと思う。
基礎練習ばっかでつまんねー、やってることわかんねー、チアずっとやっててー!って思ってたけど、基礎力付いてからだと身体表現の方がおもれぇーー!ってなるので、それを誰かに教えて欲しかったなあ。

インプットとアウトプットって自主性の最たるものだよなと思うこの頃。

なんか「センスはインプット量である」って聞いたときから、センスの良い人間になりたいから手当たり次第に色んなものをインプットしたし
国語が果てしなく苦手だったときに、「本を読めば国語は出来るようになるし、頭も良くなる」って言われたから、めちゃめちゃ読書するようにしたんだけど

それが功を奏してか、今は初対面の人との話をある程度盛り上げることが出来るし、色んなことを複合的に考えることが出来る人間に仕上がったと思う。

ただインプットもアウトプットも、やり続けないと枯渇していくし鈍くなっていくなと感じていて
学生時代は1000本ノックでやらされ続けてたから、そういう思考回路を常にオンにしてたけど
いざ卒業して自分でなんとかしなくちゃいけなくなると、怠惰が出てきてしまうなと思う。

インプットは特にそうで、新しい概念が勝手に歩いて会いに来てくれるわけではないから、自分から貪欲に足や目を運ばなきゃいけない。

私は唯一無二に輝き続けたいので、それを怠ってはいけないよと毎日自分に言い聞かせている。


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