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「俺がやらなきゃ誰がやるんだよ」

ふと思い立って、朝から下北沢にある老舗喫茶店に行ってみた。

人あたりのいい女性の店員さんが席を案内してくれる。

店内は年配の常連さんで大いに盛り上がっている。常連ばかりのお店は基本的に苦手だが、ここは不思議と居心地がいい。

ブレンドとチーズトーストを注文。

やがて別の常連さんが入ってきて、店内の常連さんと挨拶を交わす。

「どう?相変わらず競馬やってるの?」

「俺がやらなきゃ誰がやるんだよ」

「いや、けっこうみんなやってるよ」と、僕は心の中でツッコミを入れる。

いいお店だ。

しかし、おっちゃんが言っていた「俺がやらなきゃ誰がやるんだよ」という言葉が、妙に心にひっかかった。

いまみんなが求めているのは、その感覚なんじゃないか。

たとえばこの喫茶店。今のマスターは、もしかしたら自分の父親から、この喫茶店の経営を引き継いだのかもしれない。知らんけど。

もしそうだとしたら、その動機はなんだろう。

珈琲が好きとか、喫茶店が好きとか、いろいろあるだろうけど、どこかに「俺がやらなきゃ誰がやるんだよ」という気持ちがあったのではないか。

人が仕事を選ぶのには、いろんな動機があるだろう。好きな仕事。向いてそうな仕事。稼ぎのいい仕事。たまたま紹介された仕事。

けれども、なによりいちばん強力な動機は、「俺がやらなきゃ誰がやるんだよ」である気がする。

かつて人々が小さな共同体で生活していた頃は、あらゆる仕事が「俺がやらなきゃ誰がやるんだよ」という前提に貫かれていたはずである。

それは現代的な見方をすれば、「自由に仕事を選べない不幸な環境」なのかもしれないが、果たしてそうだろうか。「俺がやらなきゃ誰がやるんだよ」という動機に貫かれた仕事ほど、やりがいのある仕事が他にあるだろうか。

それは仕事以外でも同じことだろう。家族を大切にすること。地域を大切にすること。伝統を守ること。

そこに「俺がやらなきゃ誰がやるんだよ」という思いがあれば、人は納得感の中で生きることができるのではないか。無限の選択肢から解放されるのではないか。

良くも悪くも「自由」なこの社会で、「俺がやらなきゃ誰がやるんだよ」を獲得できることは、とても幸運なことなのかもしれない。

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杉原 学
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