時間論的筋トレ論
人間が生きる上で大切なことは「希望」を持つことだと言われる。
この「希望」の本質を時間論の観点から言えば、それは「時間の流れを肯定できること」だと僕は思う。
未来に希望を持つということは、時間が未来に向かって経過していていくことを肯定できることにほかならない。
逆に「絶望」とは、「時間の流れを肯定できないこと」だと言うことができる。
時間の流れを肯定できないと、自分が存在していること自体が苦しくなってくる。だから絶望が極まれば、そこで自分の人生の時間を終わらせたいとさえ思ってしまう。
「時間の流れを肯定できること」が「希望」だとして、その最終地点にあるのは一般的に「死」だと考えられる。
その意味で、究極の希望とは「死の肯定」である。死を肯定することができれば、そこに向かうまでのすべての時間をも肯定することができるだろう。
結論から言えば、「筋トレは希望を生む」。
筋トレをすると、傷つけられた筋繊維が以前を上回る強さに回復する「超回復」が起こる。それにかかる時間は筋肉の部位にもよるが、およそ48〜72時間だと言われる。
だから一度筋トレをしておけば、その後自分が何をしていようと、たとえダラダラと怠けているだけであっても、筋肉はせっせと「超回復」に励んでいるのだ。
これ以上に「時間の流れを肯定できること」が他にあるだろうか。
何かうまくいかないことがあって、「俺の人生うまくいってないんじゃないだろうか……」なんて思う時でも、「だが筋肉はいまも着実に超回復している」と思うと、もはや「時間の流れを肯定せざるをえない」。
要するに筋トレは、「希望を体内に内蔵すること」に他ならないのだ。
絶望した時こそ、筋トレをしよう。
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