「ほうれん草を育てながら哲学してみた」第1話〜野菜を育てる過程は、人間が生きる過程に通じる?〜
ほうれん草のプランター栽培を始めた。しかもウチは庭がないので、部屋の中での栽培だ。
前々から農業には興味があって、「有機栽培の里」として知られる埼玉県小川町の農家さんのところへ体験農業に行ったこともある。その時に思ったのは、
「やっぱり農業は、自分でやってこそ面白いのではないか?」
ということだった。
たとえ規模は小さくても、思うように収穫ができなくても、自分の畑で、自分の思うようにやるのが、農業の面白さのような気がしたのである。もちろんそれを専業にしようと思えば、そんな悠長なことは言っていられないのだが、僕の場合はそういうわけでもない。
そんなこともあって、家庭菜園をやりたいと思っていたのだが、実際に始めるまでにはずいぶん時間がかかった。家に庭がない、というのも理由のひとつだが、かつて大きなベランダのある家に住んでいた時も、そこでプランター栽培を始めるには至らなかった。ホームセンターに種を見に行ったりしたこともあったが、なんとなく気が乗らなかった。
ではなぜ今回、プランター栽培を始めることになったのか。
固定種の種のことを知ったからである。
ホームセンターなどに売っている種はF1と言われるもので、基本的に一代限り。育った野菜から種をとって、また同じ野菜を再生産することはできない、と言われている。
それに対して固定種は、再生産可能な種である。そして世代を継ぐたびに、その土地に合った野菜にどんどん変化していくという。
僕は断然、固定種の方に興味があった。しかしそれを販売している店は限られている。もちろん手に入れようと思えば簡単に手に入るのだが、なんとなくそのまんまになっていた、というのが正直なところである。
そんなある日、『かがり火』という地域づくり情報誌で、この固定種を扱う「野口のタネ」というお店のことが紹介されていた。その記事を見て、「やってみるか!」という気になったのである。
僕はいつもそうなのだが、何かをやろうと頭で思っていても、何かしらご縁のようなものを感じる出来事がないと始められない。自分では悪いクセだと思っている。
さっそく「野口のタネ」のネットショップで、ほうれん草の種を注文した。ほうれん草にした理由は、季節的なことと、あとは育てやすさ、そしてもちろん食べ物として「ほうれん草が好き」ということである。
さて、そんなこんなでほうれん草のプランター栽培を始めたのだが、やってみるといろいろ発見が多く、「これはもしかすると、人生に通じることがたくさんあるんじゃないか」と思うようになった。野菜を育てることはある意味で自然と付き合うことでもあるので、そこにさまざまな学びがあることは当然だろう。
だが僕の場合、自然の生態系の中でやっている農家さんとは違って、極めて人工的な屋内のプランター栽培である。そんな家庭菜園でどれほどの学びがあるのか?と自分でも思うのだが、これが意外にもたくさんの発見がある。要するに、自分の無知を改めて実感しているわけである(笑)。
野菜を育てる過程は、人間が生きる過程に通じるものがあるのではないか。どうせならその気づきをここで書いていくのもいいのではないか。
そんなことを思い、こうして書き始めた次第である。まあ農家さんや家庭菜園の経験者からすれば、「何を今さら……」と思われるようなバカバカしいことばかりだと思うが、自分のためのメモのような感じで書いていけたらと思っている。もしよければ、このバカバカしい栽培日記におつきあいいただけると幸いである。
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