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今だからこそ記したい黒石寺蘇民祭③ 蘇民祭をつくる人たち

祭は誰のためにある?
究極的には「神様(あるいは神様的なもの)のため」だろう。

祭は誰がつくる?
それは「人」だ。世界中どこに行っても、祭は人の集合体だ。

黒石寺における「祭」は、薬師如来のためにあり、住職と檀家を中心に、世話人と蘇民祭青年部が支え、つくり上げる。そこに、地元の人々、蘇民祭ファン、奇祭ファン、祭ファンが集まって、黒石寺蘇民祭ができている。

私が蘇民祭を好きな理由は、
これまで述べた「非日常をつくりだす装置」としての要素や、「人類普遍の壮大な物語の具現化」という要素に加えて、そして何より「蘇民祭をつくる人たちが好き」ということが大きい。

私が初めて蘇民祭のことを知ったのは2014年のこと。新卒で入った会社の元同期の高橋くんから、地元岩手県奥州市にUターンをするということを知らされる。当時、とにかく面白い祭を探していたので聞いてみたところ、「関わったことないけど地元にこんな奇祭があるよ」と教えてもらったのが黒石寺蘇民祭だった。2月の岩手でふんどし??と驚きながら、スマホの映像を見て笑っていたのを覚えている。

そこから友人の縁を辿って、現役の蘇民祭青年部の方にたまたま辿り着いた佐々木さん(みーさん)。今振り返るとよくつながったな、不思議だ。

2016年、黒石寺蘇民祭の1週間前に小屋づくりの準備があると聞いたので、その手伝いとご挨拶がてら高橋くんと初めて奥州市に向かった。そこでs佐々木さんの紹介で黒石寺蘇民祭青年部の方々と会うこととなった。
木と藁を運んで一つ一つ丁寧に掛けていき小屋ができあがると達成感に包まれた。その後、お祭り当日には初参加の私たちのために同じく青年部の岩城さんが色々とお世話をしてくれた。

みーさんと岩城さん

住職の藤波さんと出会ったのはその年の暮れのことだった。当時はまだお母さんが住職をされていた。気さくで物腰柔らかなお兄さんという印象で、「なんだこいつ面白いこと考えてるな〜」って感じで、蘇民祭のことを丁寧に教えてくれた。

そこからはお祭りで出会ったり、東京でのマツリズム主催のイベントに来てもらったりする中で、皆さんと徐々に関係性を深めることができた。
自分はいわゆる「純粋な参加者」とは違う存在だったから色々と戸惑うことや迷惑を掛けたこともあったと思う。それでも、お祭りではいつもあたたかく迎えてくれたし、個人的に奥州市のカフェで語ったこともあった。

もちろん、蘇民祭を支えている人たちは他にもたくさんいるのは知っている。レジェンド的なプレイヤーの方々や裏方で支える方々がいることも。でも自分に近い存在は特にこの3人だったので、蘇民祭と言えばみーさん、岩城さん、藤波さんなのだ。

藤波さん

そんな3人のことを改めて尊敬したのは、コロナ禍で祭が中止になった2021年のことだった。2015年から6年連続で蘇民祭に行っていた私にとって、コロナで中止だからといって、足を運ばないわけけにはいかなかった。
「中止の祭の当日にこそ祭の本質が見える(はず)」とかいう謎理論で自分を説得し、蘇民祭当日檀家さん以外は立ち入り禁止の境内で真剣な顔で護摩焚きをする藤波さんを遠くから見守っていた。まさに信仰の祭が行われている場面だった。

みーさんと岩城さんから「中止だったけど、ちゃんと夜22時にお参りに行って、ちゃんとマツリズムの角燈も持って走ってきたよ〜」と連絡があった。みーさんに至っては朝7時まで、蘇民祭の儀式があるタイミングに合わせて律儀にずっとお参りしたとのこと。その心遣いに温かさを感じたし、まるでシャーマンのような存在と感じずにはいられなった。

「来年は蘇民祭も完全復活、久々に参加するぞー!」と考えていた矢先の昨年12月に、岩城さんから驚きのメッセージ。そしてネットニュースで藤波さんの会見の様子を目にすることにことになる。
蘇民祭が中止…??ザワザワした。ザワザワ以外言葉が思いつかなかった。

翌日、Abema Prime Newsというニュース番組から声がかかり、その夜に藤波さんと画面越しに相対することになる。いろいろな人の思いが錯綜する中、真実もわからない中だったので、どういうスタンスを取ればいいか迷った。
「本音は??今後はどうなるの?」本当は画面越しじゃなく飲みながらゆっくり話し合いたかった。

それでも自分の中でのザワザワが止まらなかったので、年末に奥州市に行った。黒石寺を訪れ、藤波さんと話して、岩城さんとも会い、一瞬だけどみーさんも会えた。そしてもちろん高橋くんも。

話を聞き、蘇民祭に関する文献を読み進めても、実は自分には本当の真相は藪の中だった。「なぜ???」を問うても、多分答えは見つからない。でもそれぞれが皆蘇民祭と向き合っていることは確かだった。それならば余計なことを考えず自分も次の蘇民祭と向き合おうじゃないか、そうすることしかできない。

しっかり準備して今年は蘇民袋を取りに行こうと思っている。自分はこれまである種のツアーコーディネーター的な立場もあったので、実は最後まで踏み込めなかった。
多分取れないことはわかっている。だとしても今回は思いっきり楽しみ、最後まで諦めずにやり切ることが、自分なりの蘇民祭に対する感謝の表現、恩返しのかたちだと信じている。

俺はあくまで外部の人間で、一人の参加者。だけど、今回は堂々と、蘇民祭をつくる人の一員として立ちたいと思う。

つづく

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