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延泳部の津軽海峡横断リレー

高校生の津軽海峡横断リレーという世界初の試みが2021年7月30日(金)に実行されました。

私は船上でカメラマンとして参加しました。いざというときはドクターサポートができるカメラマンとしてです。

結果は大成功。

天候にも恵まれ、難所らしい難所は最後に西から東への潮目と到着地点5kmでの向かい潮がありましたが、全体を通して幸運なコンディションでした。

記録
スタート 4:34
ゴール  14:35
タイム  10:01:20
青森小泊町から北海道松前町の約40km

スタートから追潮だったので全力に近い泳ぎで飛ばす作戦としました。通常1人30分1.7kmのところ2.2〜2.5kmの速度がでていました。初回は緊張があったものの泳ぎ出すといつも通りの泳ぎで次につなげました。西から東へ流れる潮目がでてくることが予想されたため、あらかじめ到着予想ポイントより西よりを目指して進みました。風は強目でしたが、うねりはさほどでもなく、白波もほぼない状態でした。潮目も過ぎてしまえば100mほどで終盤まで体力的にはまだまだいける状態でした。

残り5kmから向かい潮がでてきました。ここで監督の指示で10分交代でのリレーに切り替え全力で泳ぎました。速度は落ちながらも徐々に到着地点が近づき最後は3人でゴール。

これが、概要です。
オーシャンナビからいただいたログが以下の通り。

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見事、運も味方につけ、最高の状態で目標達成。実に3年にわたる厳しい練習、節政健一監督自身の経験に基づく指導に耐えに耐えこの時を迎えました。

選手たちいわく、練習で心を何度も折られていたので本番は練習ほどきついと感じなかったとのこと。恐るべし指導。そしてそれに応えられるメンタル力。

船上から予想外のトラブルなどを心配する一方でどこかやってくれるという安心感もありました。

中学生の時点でこれだけのことに取り組むという決意をした佐藤夢咲樹さん。チーム一番の体力があります。他のメンバーを誘ったキャプテンです。

メンバーの中では一番スピードのある糸瀬楓馬さん。練習のあまりのきつさに何度か挑戦を諦めかけた時、仲間がいたので最後まで続けられました。頼りになるエースです。

良くも悪くも一定のペースで泳げる玉木聡馬さん。3人の中では一番最後に参加決意しましたが、誰よりも練習に参加していました。いったん水泳部を離れたけれど再び戻ってきたという経歴。

泳順はこの順番でした。監督の考え方はこうです。
体力のある佐藤(敬称略)がおそらく1番多く泳ぐことになるので最初に泳ぐ。通常、玉木が次になるが、糸瀬のスピードで稼いで玉木で繋ぐ。この繰り返し。場合によっては5分おきの交代もあり得る。

監督の指導はいわゆるエグ練。見ているとそうとしか思えない内容ですが、本番の経験をしたものにしかわからない計算され尽くした内容であったことは、終了後の選手たちへの種明かしに驚いた様子から明らかでした。

それを見ていた私からするとよく理由もわからないままに監督を信じてこなしてきたなぁと感心するばかり。

聞けば聞くほど師弟関係の信頼が練習するたびに深まっていたのだなぁと感じました。鉄人のような監督とは違い、すぐに口では弱音は吐くものの、なんだかんだで全てメニューをクリアしてきて津軽海峡横断の地に立つ。まず、この時点で監督の仕事は完了していました。

中学3年生で初めて彼らに会った時のあどけない表情、100日前を切って健診で会ったときのどこか残った頼りなさと比べても明らかに逞しさの点において著しい成長を遂げているのがわかりました。

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彼らの今後の人生の中では通過点にしか過ぎませんが、苦しい先にあるものを信じて突き進める覚悟と唯一同時にそれを共有した大切な仲間を得られたチャレンジでした。

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