愛されること

子どもが保育園に通い出して1ヶ月。ちょうど、人見知りが始まったときに保育園に行くことになり、胸がいたみました。。

保育園に通う前は、夫も私も仕事が重なってTAISHO(子ども)を見れないときは、シッターさんを呼んでいました。

ある日のこと。夫は外で仕事。私は在宅でオンライン会議に参加するためシッターさんにきてもらってました。

会議が休憩になったので、TAISHOがいるリビングに飲み物を取りに行ったところ、私の顔を見て、ふぎゃー!と泣き出したTAISHO。

お母ちゃん、いたのー!?いたなら面倒みろよー!って感じで。。

そのシッターさんには何度かきてもらってて、子どもも懐いている感じだったのですが、、その後もしばらく泣き続けてました。。

そこで、思ったのは、わたしは、この子に愛されているんだな、と。

しかも、無償の愛。当たり前だけど。

わたしは、大学の非常勤講師などをして、本所属はもたずに暮らしている。能力主義なんてサイテーだ!と思いつつ、業績がないと定職につけない、なかなかの能力主義の世界に身をおいている。

授業で学生さんに、教育では子どもそのもの、ありのままを、さらには自分自身そのものありのままを受け入れることが大切、的なことを言ってたりする。でも、自分のこととなると、ありのままを大切にする、愛するなんて無理。努力不足な自分も、業績のない自分も、本当に嫌だ。社会的に認められないのも、当然の成り行きだと思っている。

でも、人見知りを始めたTAISHOをみて、気づいた。TAISHOは、とにかく、私そのものを愛してくれている!

もちろん、わたしはTAISHOに、数時間おきにミルクあげたり、夜中に泣き止むまで長い時間抱っこしながら歩き回ったり、オムツ変えたり、している。そういった行為をされることで、当然TAISHOも他の人間との違いを感じているわけです。

しかし、そういった行為をしてくれるから、わたしのことを愛してくれてる訳でもない。

とにかく、あー、この子はわたしのこと、ありのままを受け入れ、愛してくれてるんだ、尊し。と思った。

でも、子どもからの愛に甘えちゃいけないとも思ってしまう。

子どもの愛に依存しちゃうとわたしの性格だと毒親になっちゃうかなぁ。。

結局のところ、やっぱ、研究はちゃんとやらないとなってことになるのだった。

ちなみに、保育園に行き出したTAISHO。

担任の先生曰く、数人いる担任の先生のことはわかってて、他のクラスの先生が抱っこしたりするとふにゃーと泣くそう。

すでに、TAISHOにとっても唯一無二の存在ではないかも(汗)




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