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新しい学校・新しい教育 学校の温故知新

「新しい学校」とはどんな学校なんでしょうか。

 さて、問題です。
 次の主張は、ある学校の研究書に掲載されたものです。「新しい学校」と書かれてます。
 これが公表されたのは、いつでしょうか。

新しい学校
  1 児童による、児童のための学校
  2 友愛の学校
  3 師弟共に伸びる学校
  4 生み出す学校
  5 開かれた学校
教師の立場
  1 われわれは生きた人間でありたい
  1 われわれは子どもと共に生きる道を進みたい
  1 われわれは明るい助力者でありたい
  1 それはまた「授ける」「教える」立場に対して「導き」「育てる」
    立場に立つことである
  1 われわれは子どもに対する鋭敏な感覚を持ちたい

 これは、昭和21年11月1日に発行された奈良女子高等師範附属国民学校学習研究会の『学習叢書 わが校の教育』に掲載されたものです。
 戦中、それまでの自由教育運動が制限されていたことから、再び解放され、戦後の新しい教育への期待が高まるころです。当時の学校には、全国から一万を越える参観者があったそうです。

 それぞれが、今でも重要だと強調されていますね。
 「開かれた学校」なども今の教育課程の重要な柱の一つです。
 また、この学校の実践を詳しく見ていくと、そこに「主体的・対話的で深い学び」があります。
 つまり、今の教育課程に即してみるならば、「新しい」とも言えるのです。

 イエナプランも最初の取組は1924年、日本の大正時代です。そうした取組が、今また「新しい」と注目を浴びました。
 
 OECDは、学習の本質とは何か、について、「イノベーティブな学習環境プロジェクト」を進め、2017年に次の七つの学習の原理を導き出しました。

学習の七つの原理
 1 学習者を中心とする
 2 学習の社会性を重視する
 3 感情が学習にとって重要である
 4 個人差を認識する
 5 すべての生徒を伸ばす
 6 学習のアセスメントを活用する
 7 水平的な関係をつくる

 この研究の結論部分でも、「この『原理』には、あまり新しいものがないので対応しやすいかもしれない」と書かれています。

 今まで、「新しい教育」を求めて、大正新教育運動や戦後の新教育運動がありました。そのたびに、軍国主義やはいまわる経験主義批判などから反対され、振り子のように新教育と旧教育(と言われるもの)とを行ったり来たりが繰り返されてきました。
 私は、この繰り返しの中で、少しずつ本質なものに近づいていくのではないかと思っております。今の学習指導要領、教育課程もその流れの中にあると考えます。
 だから、私は木下竹次や斎藤喜博、東井義雄などを引用し、それらの言葉を紹介したいと思うのです。
 OECDの示した「学習の本質」「七つの原理」も、「新しいものではない」と述べています。「新しい」を求めるために、古いものを訪ねる必要もあるのでしょう。温故知新ですね。
 
 それが「学びの未来」で、「新しい学校」「新しい教育」につながるのではないかと思います。

※本書は国会図書館デジタルコレクションで無料で公開されています。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1439904

 先に示しました「新しい学校」や「教師の立場」についても、詳しい解説がありますし、具体的な実践も紹介されています。
 例えば、「児童による、児童のための学校」(表記、仮名遣いは修正してあります)

 そこでは、先ずもって児童の個性が解放される。児童の意志が尊重され、その力が信頼される。施設、行事に至るまで、すべてが児童本意に考えられ、児童が主観的な位置につく。(中略)なにごとも教師によって計画され、準備され、施設され、運営されるのであっては、児童は「招かれた来客」にすぎない。いかに善美を凝らしても結局児童は傍観者にとどまる。

 全部で47ページですので、すぐに読めます。おすすめです。

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