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読書会『みんなの「わがまま」入門』(富永京子 著)開催レポート

今回の読書会、詳しくは言えませんが、主催が『みんなの「わがまま」入門』を読んで個人的にいろいろと思うことがあったので、開催しました。
MANABICAはいつも文学系の読書会をしているので、人文系の課題本は珍しく、そのため参加者の方、リピーターの方はおらず全員が初参加でした。

まず、はじめに本書の最初に、「グローバル化などによって、かつて多くの人が共有していた『ふつう』がなくなった」”と書いてあるがそれは本当か、と皆さんの意見を聞きました。

・今は情報源がばらばらで、人々の趣味趣向もばらばらになったように感じる。
・同窓会の幹事をしているが、ほとんど人が来ない。これは、みんな一緒だという意識が薄れて、同じ学校に通った人とはいえ、小グループ化が進んでいるからではないか。
・今は性別でも、LGBTQなど、言葉が多く生まれるようになった。以前は普通とそれ以外の人、みたいな感じだったが、それが細分化され、多様になった。

総じて、「ふつう」という概念がなくなり、多様になったというのは、毎日の実感としても共感できる、とのことでした。

その後はフリートーク、こんな意見が上がりました。

・この本の良いところは、社会運動の概念をより広く、そしてある意味いい加減に書いているところ。(忙しいときは社会運動なんて出来ないよね、みたいに)
・社会運動に対して上の世代(60代以上)はネガティブなイメージがある。上の世代と若い世代が一緒に活動するのは難しいのでは。
・わがままに対して寛容になろう、というのがこの本の一つの主張であるが、「わがまま」だと決めつける人にも理由がある。
・外資系の企業で働いていると、自己主張ができないとダメだと感じる。若い日本人はまだまだできない人が多い。
・自己主張をするには心理的安全が必要と言われている。社会全体にもそれがあれば、わがままの言いやすい社会になるのでは。
・今の中高生と話していると、以前よりも空気を読むことが重視されているように感じる。これはなぜだろう。
・町内会の活動をしているが、日本の共同体の最小単位は町内会であると思う。各自が属している小さな共同体で、少しずつ言葉を交わしていくことが大事。

今回、主催を含めて7名の参加だったので、2時間はやはり話し足りない様子でした。
社会運動って遠い存在に感じますが、主催としてはこの読書会を開催すること自体が、モヤモヤを共有し、様々な人と知り合う、一つの社会運動でした。
参加者のみなさん、ありがとうございました。

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